
【沖縄追悼式】高市総理の「戦争していない」に共産・山添氏が「言われるまでもない」と反論⇒だったら支持層へ説明すべきでは?
沖縄追悼式で、高市総理への「戦争をやめろ」というヤジに対し、総理が「いま日本は戦争をやっておりません」と述べた答弁が波紋を広げている。これに対し、日本共産党の山添拓参院議員は「高市氏に言われるまでもない」と反論し、「軍事一辺倒がヤジを招いている」と総理答弁を批判した。しかし、この論理には「原因と結果の深刻なすり替え」と「現状維持への過度な固執」という病理が隠されている。
現実認識の共有と「説明責任」の所在
「高市氏に言われるまでもない」と共産党が主張するのであれば、むしろ共産党やその関連団体・支持層に対してこそ、「日本は現在戦争をしていない」「追悼の場で『戦争をやめろ』と叫ぶのは現実認識として過剰反応ではないか」と丁寧に説明する責任がある。
現実の脅威である中国の異常な軍拡や北朝鮮のミサイル連発から目を背け、「言われるまでもない」と事実を突っぱねながら、防衛力強化を進める日本政府を「戦争への道」と叩くのは、あまりに非現実的である。
9条改憲の本質は「不戦の維持」と「自衛隊の明記」
共産党が危惧する「戦争準備」論についても整理が必要である。自民党(高市政権)が推進する9条改憲の主流案は、9条1項(戦争放棄)および2項前半(戦力不保持・交戦権否認)の不戦原則は維持した上で、自衛隊を憲法上明記し、現実の国防組織としての整合性を図るものである。
これは「戦争をするための改憲」ではなく、「専守防衛をより明確に憲法に位置づける」ためのものである。国土と国民を守る自衛隊と自衛官の尊厳を守り、誇りを持って任務に当たれるよう位置づける目的も大きい。高市総理自身も繰り返しこの枠組みを強調している。
「裏付けのない平和外交」はお花畑
「対話の外交こそ最大の防衛」という主張は、一見正論だが致命的な欠陥がある。ウクライナ侵略が証明した通り、国際社会では「もし攻めたら手痛い反撃を受ける」という抑止力(防衛力・日米同盟)の裏付けがあって初めて、外交交渉が機能する。
追悼の場に政治を持ち込むな
沖縄全戦没者追悼式は、遺族や参列者が静かに祈りを捧げる場であり、政治的主張や過剰なヤジで対立を先鋭化させる場ではない。慰霊の場で感情的なヤジを容認し、それを政府批判に利用する姿勢は、参列者への配慮に欠けるものである。
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