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【解析】朝日はなぜ偏向報道をやめないのか?なぜ偏向報道をするのか?

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偏向報道と言えば朝日系列である。新聞もさながらモーニングショーや報道ステーションなど明らかに悪意のある演出の朝日テレビ。
その偏向ぶりはもはやグループぐるみです。
各有識者・他紙やネット上で批判をあびても一向にその偏向ぶりは収まらない。
なぜだろうと思いネットを検索するとこんな記事が飛び込んできた。

≪徹底討論≫OBが語る なぜ朝日の偏向報道はやまないのか

『月刊正論』 2008年11月号
稲垣 武(元「週刊朝日」副編集長)/本郷美則(元朝日新聞研修所長)/聞き手 石川瑞穂(元産経新聞論説委員)

【目次】
・朝日は戦後左翼社会の鏡だった
・転機となった村山騒動
・整理部の裁量を抑制し、職人集団に
・無謬主義が始まったわけ
・屁理屈機関の名人芸
・陰湿な社内いじめ
・『中国の旅』の舞台裏
・林彪、拉致事件の内実
・朝日が書いて初めてニュースという思い上がり
・相も変わらぬ論説の体質
・「独りよがり」は旧日本軍とウリ二つ
・関連記事

≪徹底討論≫OBが語る なぜ朝日の偏向報道はやまないのか – iRONNAより引用し記事にしました。

朝日は戦後左翼社会の鏡だった

稲垣 いつも言っているのだが、朝日新聞は戦後民主主義の守護神であることを自任しているわけです。その戦後民主主義がもたらした歪みはどこからどう来たのか。それはそっくり朝日の論調に反映されているといっていいと思うのです。マスコミとは社会の鏡だという言い方がされます。しかし、戦後民主主義が左翼に牛耳られ、歪められてきたことを考えると、朝日新聞とは日本のいわゆる左翼社会の鏡でもある。左翼と朝日は互いに影響し合って動いているともいえる

 では、互いに共鳴しあう左翼とは何だろうか。容共ではあっても、必ずしも共産党ではないのです。共産党のようにがっちりと構築された理論を持っているわけではない。むしろ、ムードに基づくもので、その方が格好いいと考えるモードと言っても良い。つまり一種の心情左翼的なところがあるね。

 本郷 。昭和20年10月、朝日社内では十月革命と言っているのですが、要するにそれまで地下に隠れていた聴涛克己氏(のち日本共産党中央委員)や、後年、「私はマルキストだった」と自著で告白した森恭三氏(のち論説主幹)らが素顔で表に出てきて、理論武装を支えた。
戦後の社会情勢が左翼に牛耳られ、左翼と共鳴しあう事で朝日の左翼論調が生まれたわけですね。

十月革命(じゅうがつかくめい、ロシア語: Октябрьская революция、ラテン文字表記の例:Oktiabr’skaia revoliutsiia)は、ユリウス暦の1917年10月25日(現在のグレゴリオ暦の11月7日)、ロシアの首都ペトログラード(後のレニングラード、現在のサンクトペテルブルク)で起きた労働者や兵士らによる武装蜂起を発端として始まった革命。多数の労働者や兵士らを扇動した革命家らによるクーデターとも解される。ソビエト革命あるいはボリシェヴィキ革命とも。

マルキスト ⇒マルキシスト
マルキシスト [Marxist]

マルクス主義者.マルクスの学説を信念とする人.邦転してマルキストとも.

マルクス主義
マルクスとエンゲルスが唱えた科学的社会主義資本主義を動かしているものは,物質的な利害であるとし,プロレタリアートによる変革を説く.

マルクス主義 – Wikipedia

昭和11年に、当時の東証で朝日記者が絡んだ不祥事が起こり、東京の経済部改革が迫られたときに、大阪から田中氏が広岡氏やらを率いて東京へ転じているのです。そのころの東京本社には、尾崎秀実もいました。彼は、その後、社を辞めて満鉄で働いているときに、ゾルゲ事件を起こすわけですが、尾崎に「御前会議」の最高機密「南進」を耳打ちしたのが、部下から情報を仕入れた田中でした。

そういう人たちが戦争中は社内に潜んでおり、終戦を機に一斉に表に出てきた。GHQの公職追放令は21年だったが、その前年、朝日は独自に当時の編集幹部や村山家、上野家の当主たちを追い出して、21年春に重役を公選するわけです。これは組合が選挙して選ぶということです。社長には、まだ編集局次長だった長谷部忠氏が就任するわけですが、一種の組合管理に近い形になった。

 これが、朝日に赤い旗が立った最初だと思う。だけど、重要なことは、こうした流れの底流は、戦前からあったということですよ。そして占領政策を推し進めたGHQにも革新派がいて、これと呼応して朝日の左傾路線が始まったというわけです。

ゾルゲ事件 – Wikipedia

ゾルゲ事件(ゾルゲじけん)は、リヒャルト・ゾルゲを頂点とするソ連のスパイ組織が日本国内で諜報活動および謀略活動を行っていたとして、1941年9月から1942年4月にかけてその構成員が逮捕された事件。この組織の中には、近衛内閣のブレーンとして日中戦争を推進した元朝日新聞記者の尾崎秀実もいた。

 稲垣 革新派とは当時の民政局や社会教育畑に多かったみたいですね。

 本郷 そう。中にはニューディール政策を進めた連中もいたわけですよ。

 稲垣 ニューディール派でもニューディール左派だから。

 本郷 アメリカで夢が叶わなかった連中といっていい。

 稲垣 もともと彼らは容共的社会主義者なんだよ。共産党とそう変わらない。共産主義というとアメリカ国民には生理的な嫌悪感があるでしょう。だから「リベラル」などとごまかして、それでいろんな政府機関に潜りこんだわけで、なかでも相当に過激な連中が日本へなだれ込んできた。マッカーサー司令部の社会教育畑に潜りこんでいたわけです。

 本郷 それでこの連中は、日本の民主化に新聞を使おうと目論んだ。戦争中に抑圧された連中を表に出し、新聞を先兵にして、日本のいわゆる民主化を進めていくわけです。読売は読売で激しい争議があった。あれは鈴木東民氏に率いられたけど、鈴木自身も戦争中は朝日の在欧通信員です。

 ところが世界情勢は劇的に変わっていく。昭和21年3月には、早くもチャーチルが「鉄のカーテン演説」をし、中共が蒋介石をどんどん負かしていく。さらに朝鮮戦争が兆す。そうすると、米国はガラッと占領政策を変えるわけです。それまで戦前戦中の指導者を公職追放で斥けていたのに、一転してレッドパージに乗り出す。その際、教育界の次に狙ったのが新聞業界だった。

 追放者が最も多かったのはNHKの119人、次いで朝日の104人だった。手法としては、職場内の密告を推し進めた。長谷部社長は苦汁を飲まされ、GHQに「やらないと朝日新聞を潰す」とまで強要されるわけです。彼が最も懸命に守ったのは笠信太郎氏(論説主幹)だったと言われています。

 いったん表舞台に現れて、労組を母体に花形となった広岡氏、田中氏、森氏といった連中も、ここで本来の職場に戻されてしまう。そして、公職追放令が解除され上野精一氏も村山長挙氏も社に復帰してくる。もっとも、二人とも社主家の二代目で「よきにはからえ」の体質は否めなかった。

 稲垣 正力氏(松太郎・読売社長・第一次岸改造内閣で科学技術庁長官)のような指導力がなかったんだよなあ。

ニューディール政策 – Wikipedia

1933年、F=ローズヴェルト大統領が世界恐慌克服のために示した新政策。経済復興への一定の見通しを示し国民の支持を受けた。しかし議会の反対によって修正を迫られ、その成果は限定的であった。
1933年およびその後に採用された、フランクリン=ローズヴェルト大統領による世界恐慌からの脱却をめざす経済政策を総称してニューディール政策という。New Deal とは、「新規まき直し」の意味で、救済(Relief)、回復(Recovery)、改革(Reform)の3Rを政策の理念として、アメリカ合衆国の経済を再建し、ドイツ・日本などのファシズム国家の台頭という危機への対応や社会主義国ソ連との関係の修復などの外交課題にあたろうとするものであった。1939年の第2次世界大戦勃発後は、戦時体制へと転換していく。ニュー=ディール政策は多岐にわたるが、関連する国内主要法令は次の6項目に要約される。

鉄のカーテン – Wikipedia

1946年、イギリス前首相チャーチルの演説の一節で、ソ連東欧圏を非難したことば。東西冷戦の深刻化を告げることとなった。
1946年3月、イギリスの前首相チャーチルがアメリカ合衆国ミズーリ州フルトンで演説した一節の「バルト海のステッテンからアドリア海のトリエステまで、ヨーロッパ大陸に鉄のカーテンが降ろされた」からきたもので、ソ連邦が東ヨーロッパ諸国の共産主義政権を統制し、西側の資本主義陣営と敵対している状況を批判的に表したもの。その後、ソ連=共産圏の排他的な姿勢を非難する言葉として多用されるようになる。その結果、この演説は冷たい戦争(東西冷戦)の幕開けを示す出来事と捉えられている。

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転機となった村山騒動

村山社長は、その広岡氏を快く思わず、紙面の左傾を問うて九州に飛ばした。当時は西部本社担当と言ったが、この人事について、森氏は『私の朝日新聞社史』という回想録の中で、「広岡氏が西部に追われて、社に暗黒時代がやってきた」と書いている。暗黒時代とは村山親政を指し、それに付き随った木村氏についても悪口を書いている。木村氏は、かねてから右翼系政治結社黒龍会と関係があり、思想的にはむしろ中道右派だった。

 ところが、村山親政で致命的な失政が起こってしまった。村山社主家に、公私の別をわきまえぬ行為が重なったのです。そうして、昭和38年から、お家騒動が始まる。すったもんだのあげく、九州に流されていた広岡氏が、39年1月20日の取締役会で村山社長解任の動議を出し、それが通ってしまう。

 彼はヒラ取締役から一足飛びに専務になり、その翌日、大阪経済部時代からの刎頸の友、森氏を論説主幹に据えるわけです。ここからずっと左翼路線が固まっていく。
一時は右翼系から中道的までいった社風が社長の失脚により再び左翼系に社風が進んでいくわけですね。
ここが朝日のキーポイントだったのかもしれませんね。

整理部の裁量を抑制し、職人集団に

稲垣 さっき広岡氏以前は非常にリベラルな雰囲気があったと言ったでしょう。左も右もいたしね。それから、自由にものをけっこう言えた。組合は組合でそれなりのことをやってたけど、縛るようなことはなかった。

 本郷 私が入社した年の暮れに「九六スト」があった。このとき、編集局のカナメである整理部が、経営側の期待に反してストに加わったものだから、紙面の出来ばえが無惨になった。整理出身の専務だった信夫さんには、痛手だったはずです。

ところが、広岡さんが政権を取って、まずやったのが整理部の奪権です。それまで朝日新聞の大幹部になる人は、みんな整理の経験があった。緒方さんも美土路一さんも、信夫さんも長いこと整理をやっていたし、木村さんもそうだった。朝日の中では、整理をやらないと幹部になれないという不文律があったくらいでね。

 なぜかというと、整理部門は編集局にありながら、号外をいつ出すとか、特別版をどう作るとか、こんな広告は載せられないとか、要するに社業全体を見渡していないとできない。その上、読者のニーズを理解しながら、これが今日の一面トップだとか、これは10行に削っちゃえというふうな仕事をやるのが整理部なんです。だから、整理を経験した人は、社業全般に通じることになる。

 ところが、広岡さんには整理の経験がない。森さんも渡邉さんにもない。広岡知男さん以後の社長にも、整理経験者はほとんどいない。逆に、整理部を煙たがって弱体化した。

 稲垣 私は整理に入ったときに「おまえらは、まずまっさきにニュース価値の客観的判断をする義務があるんだよ」と言われた。これはトップに値するのかどうか。あるいは3段にするかという判断をまずおまえらが判断せよと言われて、それで張りきったことがある。そうした気概や矜恃は今なくなってしまっている。

 本郷 変わって、上から指示がくるようになった。

 稲垣 そう、上から指示がくる。とくに広岡氏、秋岡家栄北京特派員の時代はひどくてね。秋岡氏の中国べったりのくだらない原稿をトップにしろとか、そういう指示が判断なしで罷り通るようになった。だから、見映えよく見えればいいという、整理職人になっちゃった。
整理部の権限がなくなったのだから、抑制が失われてここから内容よりも見栄えを重視する偏向報道が始まったわけですね。

無謬主義が始まったわけ

本郷 広岡氏が社長になってから、左傾紙面への統制が露骨に始まった。これは顕著でしたね。代表的なのは、さっきも言った整理部の権限を奪い、紙面へのコントロールをトップ・ダウンでやり、人事面でも素直に言うことを聞く人間だけを優先的に引き上げていった。

 それから、「無謬主義」を植え付けたな。「朝日は絶対に間違えない」という信仰みたいなものです。なんでそんなになったかというと、さっき言った株の問題が密接に関係しているわけです。業務上のミスがあると、株主総会で村山社主家側から攻撃される。権力基盤が脆弱だから、そんなことがあっては絶対ならない、ということで「ノーエラー」が唱えられはじめ、これが基本になったということですよ。ところが、人間だからエラーをしますよね。するとどうするか、頬被りなんだよ。訂正しない。みんなが見ぬふり。みんな黙っている。

 石川 エピソードってありますか。

 本郷 それが典型的に表れているのは、『朝日新聞縮刷版』でしょう。そのころの『縮刷版』は、私ら整理が最終版を作ったあと、「縮刷直し」という作業をやった。読者に配る新聞には訂正を入れるが、永久に残る『縮刷版』には訂正を残さずに出版するために、訂正を引っこ抜いて、空いた穴を埋め記事で埋めて帳尻を合わせる。

 ところが、当時、防衛大学校の教授だった佐瀬昌盛氏が朝日の論説記事が誤っている、おかしいと騒ぎ出した。すると、言を左右にして逃げまくるんだけど、結局、直さない。すると今度は、『縮刷版』だけ直していたと再び問題になったのです。

無謬(ムビョウ)主義

無謬=理論や判断にまちがいがないこと。無謬主義=「推論の無謬性」。自分には何の間違いもない、という絶対神のような考えの人を指す。

可謬主義(かびゅうしゅぎ)「知識についてのあらゆる主張は、原理的には誤りうる」という哲学上の学説。知識が絶対に確実であることは不可能であるとまで論じる可謬主義者たちもいる。

石川 米ソの冷戦下の、中距離核ミサイルをめぐる問題でしたね。ミサイルが「導入された」とあったのが、佐瀬氏に『諸君!』で指摘され、「導入を決めた」とこっそり直してしまった。「導入された」と「導入を決めた」では大違いですね。

 本郷 「無謬主義」も影響して、社内の人事評価は減点主義になっていったんです。エラーすると、もうあいつはだめだと。社員の採用も、どこを切っても同じような顔が出てくる。金太郎飴みたいな人間ばかり集めた。だから、いまでもそういう雰囲気が残っている。硬直化してね。

 稲垣 そうそう。例のNHKの事件でもそう。あれも本田記者のやったことは、間違いなく大誤報なんですよ。政治家が事前にNHKの幹部を呼びつけた事実はないのに、呼びつけたと書いちゃったわけですから、これは明白な誤りでしょう。そういう致命的で重大な間違いがあるにもかかわらず、今度はご丁寧に検証委員会とかを、紙面に逃げ口上を出すために組織する。結局、それが事実であるとは断言できるような証拠はなかったという風ないい方をするわけです。この物言い自体が実にトリッキーで悪辣ですよね。記事に書いたことがウソだったのかどうかということなんですよ、要は。でもそうはいわない。結局はごまかしてるわけだよ。

 石川 無謬主義ですね。
無謬主義の典型ですね。自分のやった事は絶対で過ちを認めない。この風潮が現在まで深く根付いているのでしょう。

屁理屈機関の名人芸

稲垣 とにかく、朝日の社説でも論説の類ね。つまり、そういう事実に基づかないことを書くから、どうしてもそれをごまかす屁理屈ばっかり上達してくるわけよ。屁理屈のレトリックというのはいまや名人芸化している。でもどんな名人芸を尽くしても、どうしても自分に都合の悪いことがあるでしょう。そういうときは喧嘩両成敗にしてしまう。北朝鮮も悪いけど、それにちゃんと対応できない日本も悪いというわけ。喧嘩両成敗にしてしまうんだ。それが一つの例です。それもできないとなると、今度は言葉を失って黙っちゃうんだなあ。

本郷 叩いても揺すっても黙っている。いるじゃない、そういうやつさ。まったく卑怯だよなあ。

 稲垣 都合の悪いことは絶対書かないんだね。初めから黙っちゃう。そういえば神戸で小学生の猟奇殺人事件をやったA少年な。事件発生直後の社説は冒頭で「言葉を失う」と書いてある。言葉が商売の論説委員が言葉を失ってどうするんだと思ったよ。その後は例によって例のごとく、社会が悪い、社会が悪いと言っていたけどね。この屁理屈たるや、もう噴飯ものだよね。
本郷 広告部門に転属になって、朝日がいかに評判の悪い新聞かがよくわかったよな。大阪で、冷蔵庫が爆発する事故があった。東芝の冷蔵庫が爆発。ドカーンと4段のゴシックで見出しが立った。何も「東芝の冷蔵庫が爆発」としなくてもいいんだけど、そんな見出しを立てる。しかし、調べてみると、冷蔵庫にガスライター用のボンベが入っていて、そいつが腐食してガスが漏れ、それにサーモスタットの火花が引火、爆発したというんです。東芝はまったく被害者で、何の瑕疵もない。何とか後追い記事を出してくれと懇願するんだけど、社会部は、「そんな必要はない、警察の発表どおり書いただけだ」と、こうなんだよ。で、関東者で分が悪い東芝は、やむなく全5段の謹告広告を出した。「爆発の新聞報道があったけれど、実は中にガスボンベが入っていて…」と。もちろん、朝日は広告料を取った(笑)。 それを聞いてね、これはひどいと思ったな。当時、科学部長が同期入社の男だったから、「メーカーが冷暗所に保存を、と勧めるガスボンベを冷蔵庫に保存するのは危険」と、科学的啓蒙記事を書いてくれといったら、「関係ありません」と、ニベもないんだ。こいつも社会部出身でね。稲垣 朝日新聞で案外みんなに知られてないのだけど、科学関係の記事はお粗末なんだ。ウソが結構多いんだよ。たとえば、環境庁が、ポリカーボネートというプラスティックを給食用の食器に使えるかテストした。どこまで使えば使用が不能になるかという一種の限界テストだった。だから、高温の苛性ソーダの液で100回ぐらい洗った。そうするとポリカーボネートが白っぽくなった。それをあたかも実用テストであるかのように、100回洗ったら白っぽくなった。環境ホルモンも溶出した(実際は許容濃度以下)ので、普及事業も中止されたと書いた(これもウソ)。それで環境庁は抗議する。これは耐用テストで実用テストじゃない。でも全然知らん顔ですよ。

嘘を記事にするから、その嘘を正当化するためにごまかしや屁理屈が先走り、結局内容は薄っぺらなものになるんですね。

櫻井よしこさんが「朝日新聞は廃刊にすべし」と言ったのもうなずけます。

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陰湿な社内いじめ

 石川 冒頭に、朝日が戦後民主主義の守護神を任じていたという話がありましたが。

 稲垣 そうそう。だから、安倍内閣のときに、教育基本法が改正されたでしょ。あのときの朝日の社説のタイトルは「戦後がまた変わったか」というものですよ。でもね。戦後というのはアメリカが占領して対日占領方針を、連合国で作ったわけですよね。端的にいえば、日本を永遠に三等国に押し込んでおくという方針です。新憲法も教育基本法もそれに沿ったものだ。だから、朝日は戦後が変わるのはいやなんだよ。永遠に三等国のままならよかったと言っているようなものだ。防衛庁の省への昇格だって機嫌が悪くてしょうがない。

 GHQのニューディール左派は、もともと社会主義だから、競争が嫌いなんです。本質的に社会主義からきた競争忌避なんだよ。これが日本に昔からある横並び思想とガチッとマッチしたから、例えば、学力テストみたいな競争には大反対するわけです。みんなで手をつないでゴールインしようという左翼教師の考えに近い。ああいう風潮が、どんどんはびこった。学校同士の競争は排除される、日教組も極力反対したからね。今でも学校格差はあってはいけない。勝つのも反対という立場でしょう。

 「私は弱者だと、一番最初に大きな声で言ったやつが勝ちだ」という笑い話があるが、そのとおりなんですよ。戦後の農政なんかその典型だね。農協が「私たちは弱者だ」「さんざんいじめられた」という。戦時中は無理やり供出させられていじめられた。戦後は国際競争力がないから、高い米価を維持する。補助金をたっぷりもらうといった具合で、私は弱者だと声高に主張している人間に限って、実は優雅に海外旅行なんかを楽しんでいる。そういう風潮を推奨したのが、朝日新聞なんだ。

 本郷 広岡氏の後、号令はよく届くようになったけれど、自分で判断できない人が増えた。例えば1979年の中越戦争のとき、両国の国境に大部隊が集結しているというニュースが入ってきたから、私は夕刊のデスクとして、これをドーンと一面トップに据えた。

 ところが、早版の試刷りを見た局次長が飛んできた。「おいおい、これ、大丈夫か」と言うんだ。「まあ、見ててご覧なさい。2、3日で必ずドンパチ始まるから」とは言ったのだが、彼は「しかし、これはなあ、君。両方とも社会主義国家だよ」と言うんだよね。「あんた、何言ってるの?」と言ってやったんだ(笑)。「まあ、任しておいて」と押し通したら、3日目にドンガラと戦闘が始まった。あのころまでは、まだ私みたいなのが整理部にいて、頑張れたのよ。

 石川 中越の衝突ですから、昭和でいうと54年ですね。

 稲垣 いまはおそらくそんなことやれないでしょうね。できるだけ小さく。何かあったら困るから、2段か3段、隅のほうに、目立たないようにと指示が出る。

 石川 稲垣さんの『朝日新聞血風録』なんか読みますと、稲垣さんも相当、社内弾圧に遭ってますね。

 稲垣 それはもうむちゃくちゃでした。私は、大したことを言ってるわけじゃない。ごくごく当たり前のことを言っているんだけど。

 本郷 アタマがおかしいとか、あの人は右翼・反動だとか言うんだよね。

 稲垣 私は随分、軍国主義者と言われましたよ。

 本郷 私はそういうことを言われると、いつも「私は真ん中だよ。おまえさんらは極左だから、私のことが右翼に見えるんだ。真ん中にいても右翼に見えるのね」と、言い返していました。

 稲垣 そういうふうに、社内で弾き飛ばそうとするからね。しかも、上層部は直接言わずに、手下を使う。まったく薄汚いやり方なんだ。

 本郷 そう。実に陰湿なんだ。
要するに、朝日は被害妄想のかたまりって事でいいんですかね?朝日内では負けるが勝ちって事?
よくそんな事が今の世の中で通用しますよね。

『中国の旅』の舞台裏

石川 ところで、たとえば本多勝一さんや秋岡さんはどういう記者だったんですか。

 稲垣 本多勝一氏の『中国の旅』を例に挙げると、あれは、広岡社長命で後藤基夫編集局長を使った周恩来独占会見と連動している。このやり方は、やはり後藤編集局長の金日成独占会見のときにと同じやり方よね。これは、宮田浩人という朝鮮総連べったりの記者によるものでしたが、会見取材に合わせて連載をやって「北朝鮮では学費は要らない、全部ただだ」と、ベタベタに賛美するんだよね。

 本郷 本多氏の場合は『カナダエスキモー』などの、要するに゛冒険ダン吉″で確立された名声が利用されたんだな。面白い作品を作らせたのは名物社会部長だった田代喜久雄氏(のち編集担当・テレビ朝日社長)ですよ。それを広岡一派がうまく使って、日中に使ったというわけですよ。でも、もともと゛冒険ダン吉″だから、政治や思想のことなんか何もわかりはしないのです。

 稲垣 向こうが言ったことをそのまま書くわけだからね。

 本郷 それは自分でも言っているよ。「僕は聞いたまま書いただけなんだ」と。

 稲垣 『中国の旅』が始まると、当時はまだ旧満州の関係者が生きていたから、猛烈な抗議がきた。「これは全然、事実とは違う」というわけです。撫順炭鉱で死んだ中国人を万人坑に投げ込んだと書いてあるが、撫順炭鉱は露天掘りで普通の炭鉱とは違う。事故なんて起こるはずがないじゃないかという抗議がきた。

 本郷 平頂山事件にしても、私のはるか先輩で、満鉄社員の息子だった人が、「これウソだ」と社内でも言っていたし、「これは違っている」と、OBが大勢、会社に抗議に来たが、それを…。

 稲垣 全部門前払いしたんだよね。本多氏自身は私は中国の言うことをそのまま書いただけだから、文句があるなら中国に言ってくれと、こういう言い草をしていた。私はそれを聞いてびっくり仰天したけどな。

 本郷 いや、それは方便であって、実態はプロパガンダに自ら加担したんでしょう。それがプロパガンダであることは社内でも多くの人がわかっていたじゃない。罪深いですよ。こういう抗議が来ているという情報は、社内でさえ全部抑えたし、OBからの疑問にも同じ態度ですよ。

 さっき私は朝日の一つの特徴に無謬主義を挙げたけれど、もう一つ、「ぬるま湯体質」を挙げたい。それは、朝日にじっとしていると、月給はいいし、少しずつ地位も上がっていくわけです。そこで、会社を飛び出るのを覚悟で喧嘩するなんて、馬鹿じゃないのかという空気が生まれていくんですよ。もともと、みんな平和主義の優等生だしね。

撫順炭鉱(ぶじゅんたんこう)とは – コトバンク

撫順襲撃事件 – Wikipedia

撫順市 – Wikipedia

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林彪、拉致事件の内実

石川 広岡-秋岡時代の林彪事件報道のときの雰囲気を聞かせてもらえませんか。北京特派員だった秋岡さんは、林彪の失脚を否定しましたが…。

 本郷 後に推理小説家になった伴野朗上海支局長が、中国の放送、新聞を地方でもあれこれ調べて、何かおかしい、林彪失脚があったらしいと『週刊朝日』に書いた。

 石川 稲垣さんが副編集長時代ですか。

 稲垣 その前です。すると、広岡にゴマをする社内の魑魅魍魎どもが、ワッと週刊朝日編集部に来て抗議した。「そんなこと書いて済むと思うか!」という言い方でやられるわけよな。当時の編集長が「何だ!それでは戦前の新聞と同じじゃないか」と怒った。当時の特派員だった秋岡氏は後で、西園寺公一の秘書から、実際に林彪事件があったのだと聞かされているわけだが、それは朝日の本社には伝わらなかった。

 彼は辞めたあと、日中学院という語学学校に行った。朝日も金出してやったんだろ。日中学院の幹部に据えた。

 本郷 そのあとも、人民日報の日本総支配人になったはずだ。

 稲垣 北京支局長経験者で日本語版の中国の雑誌「人民中国」の編集幹部に行く人もあった。こうなると、北京のご機嫌を損じるようなことは書けなくなる。将来の就職のことまで考えてしまうからね。

 石川 秋岡さん自身はその林彪事件のときに、失脚していないと、しばらく言ってた。後に笑われるわけですよね。そのことについてはご本人はどう受けとめてるのでしょうか。

 稲垣 何も言ってない。都合が悪いことは黙ってるんだよね。

 本郷 それで、何か言われりゃ、親分の広岡氏を指させばいいわけでしょ。

 稲垣 広岡氏は広岡氏で「私が悪いのではなく、私は最大の被害者だ」と言うわけでしょう。でも広岡氏は中国のご機嫌を損じるようなことは書かなくていい、そこに、いるだけでいいと明言しているわけですよ。歴史の証人としていればいいと言っているわけです。でも秋岡氏は歴史の証人として、本当の歴史を書いたことなんかなかった。彼はもともと、外報部時代から、文章の書けない記者として評判だったんだよ。

 石川 秋岡さんが?

 稲垣 そう。文章、へたくそですよ。読んだらわかるよ。読むに耐えない。

 本郷 外報部記者のなかには、えてして文章の書けない記者がいる。作業としては、横書きの資料を縦書きにしているだけという記者が案外多いんだ。結局、本多氏も秋岡氏も謀略や宣伝に関してはまったく無知で、それは広岡氏も同じだったと思う。ジャーナリストとしては失格です。

 稲垣 慧眼の士を志すということがまったくないんだね。

 石川 北の拉致問題の場合はどうなんですか。

 稲垣 この問題では、朝日は明白なウソをついている。たとえば、産経より先に朝日が拉致問題を書いているという記事を出しているけれど、それは違うんだよ。

 石川 久米裕さんに関して最初に朝日が報じたという記事(昭和52年11月10日)ですね。

 稲垣 それは工作員の絡んだ拉致事件として書いているのではない。単なる密航事件として書いているわけだ。それを最初に拉致問題を書いたのは朝日新聞だと、金正日が拉致を認めた後で平気で紙面に載せるけれど、これは誰が見ても明白なウソなんだよ。ウソを平気で通してるうえに、しかもその記事のおかげで、朝日は名誉を救われたと書く馬鹿まで出てくる。

 石川 縮刷版をめくって真偽を確かめるためには、かなりの手間がかかります。

 稲垣 普通の読者は、記事を読んで、ああ、そうなのかと思って終わり。そういう読者の実態を、高をくくった上でウソを書くわけだ。だから、朝日新聞は眉に唾つけて読まなきゃいかん。まあ、その楽しみもあるけどさ(笑)。だけど、本当によくこんなにしらじらしいウソをつくなというのがある。

林彪事件 – Wikipedia

林彪事件(りんぴょうじけん)は、1971年9月13日に発生した、中華人民共和国の林彪中国共産党中央委員会副主席による、毛沢東共産党主席暗殺未遂及びクーデター未遂事件、及びその後の亡命未遂事件。「9・13事件」とも呼ばれる。

林彪事件解説

文革時代、人民解放軍指導者として一貫して毛沢東を支えた林彪・中国共産党副主席兼国防相が1971年9月、毛主席暗殺計画を企てたが成功せず、逃亡途中にモンゴルで墜落死したという衝撃的な事件。彼は69年4月の中国共産党9全大会(第9回党大会)で、毛沢東の後継者に指名されていた。「71年3月、林彪は『〈571工程〉紀要』を作成。9月8日、反革命武装クーデターを起こして偉大な指導者毛主席を謀殺し、別に中央を作ろうとするところまで突っ走ったのである。陰謀が失敗に終わった9月13日、彼はひそかに飛行機に乗って、ソ連修正主義に身を投じ、党を裏切り、国に背き、モンゴルのウンデルハンで墜死した」――73年夏、中国共産党10全大会(第10回党大会)で周恩来首相は、林彪事件についてこのように報告した。この事件には、現在でも多くの謎が残されているが、事件の基本的性格は、文革期における軍と党・行政官僚トップの対立ととらえることができる。
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朝日が書いて初めてニュースという思い上がり

 本郷 もう亡くなったが、和田俊氏は覚えてますか。ポル・ポト政権を賛美した。

 稲垣 ああ、和田さんね。あれは、カンボジアにはいないで書いたんだよね。

 本郷 微笑みの革命とか何とか。

 稲垣 いい加減な作文を書いちゃうわけ。ウソで固めた作文を書かせると実にうまい。

 石川 いわゆる57年の教科書問題というのは、朝日だけが誤報したわけでなかった。朝日が書いたこと自体は、全社横並びでどの社も書いた。ただ、朝日の釈明は変だったという印象がある。

 稲垣 あれは謝っていないんですよ。

 本郷 それは、さっき言った無謬主義と通ずるし、それから、あらゆる報道は、朝日が書いて初めてニュースになるんだという、そういうアタマがどこかにあるんだね。朝日の人間は、平気でそういう愚かなことを口にして憚らないからね。

 稲垣 傲慢だね。朝日の書かないものはニュースじゃないと、こう言っているわけだからね。だから、もちろん、拉致事件なんか朝日が書かなきゃ存在しないわけだよ。

 本郷 思い上がりもはなはだしいんだけど、それがいいと思っている。朝日の常識は、世間の非常識なんだ、ほんとに。そういうことを平気でやってきたんだ。

 稲垣 まったく根拠のない思い上がりがあるんだよね

 石川 それはいつごろからですか。

 本郷 広岡氏以降に確立したと思ったらいいですよ。

 稲垣 戦前から多少あったけどね。

 石川 昔は、左は左でも、あるいはリベラルはリベラルでも、言論の自由はあったわけですよね、稲垣さんとか本郷さんが入ったころ、あるいは入る前には。

 本郷 あのころの新聞小説で映画になったのは、ほとんど朝日だね。朝日に連載小説が載ると、講談社とか文春から出版され、それがすぐ映画になった。そういう時代があった。政界を見ても朝日出身の国会議員が四十数人、閣僚経験者も大勢いた時代があった。だから、朝日はどの世界でも別格、という感じさえあったね。

 石川 そうですね。石井光次郎さん(副社長・第五次吉田内閣運輸相)とかね、政治家以外でもそうだもんね。

 稲垣 下村海南(宏・副社長・NHK会長)もそうでしょ。緒方竹虎(副社長・第五次吉田内閣副総理)、美土路昌一(社長・全日空社長)ね。ところが、これに対しては、大阪サイドでは、新聞人が政治家になる、付き合いを深めるべきではないという冷ややかな見方もあった。緒方竹虎批判というのは大阪で隠然とあったのです。

 本郷 そう言えば、信夫さんは大阪整理育ちで、この人は政界とまったくつきあわず、財界ともつきあわなかった。わずかにつきあいがあったのは文人墨客ですよ。石川達三だとか井上靖、池島信平とかね。みんなゴルフ仲間だな。ある意味で正しい。戦後では、この人の時代が朝日が商売のジャーナリズムとしては一番繁栄してますよ。

 企画催事もそうだ。南極探検だとか、いろんな展覧会。広岡氏の唯一の功績は、電算編集かなあ。でも、これも厳密には日経が先行しているし、読売に部数を抜かれるのも昭和52年だったか、広岡氏のときだ。抜かれると、「君ねえ、新聞は中身だよ」と言った。それまで部数だ、部数だって、さんざん言っていたくせに、本当に御都合主義でね。

 稲垣 最初に言ったけど、朝日の新聞の内容というのは、ずっと戦後の容共左翼の世界を反映してるんだよね。戦後の日本の左翼というのは、つまり戦前戦中、日本の軍部のアホさ加減のイメージをそのまま受け継いでいる。現実を見ないからで、ただ観念で遊んでるだけだからさ。たとえば、必勝の信念があれば必ず勝てる。負ける、負けると言うやつがいるから負けるとかさ。朝日はこれと全く似ている。

 戦争を放棄した憲法9条さえあれば日本は侵略を受けることはないとの観念論から長い間日米安保に反対し続けてきたんです。

 現実を見ないという、いわゆる戦前の病弊をそのまま引き継いでる。これが最も端的に出ているのが朝日新聞の社説ですよ。つまり、現実をありのままに見ようとしないで、自分に都合のいいように解釈して、見ようとするから、いろんな無理が生ずるわけです。それは、その場は繕えても、しばらくするうちにすぐバレるわけだな。そうすると、今度はそれを知らん顔してネグるか、それとも弁解するときは、いわゆる喧嘩両成敗方式。どっちも悪いとしたら、これは一番楽なのよ。

 本郷 自衛隊の海外派遣なんてとんでもないと言ってたのが、何か変なこと書くからね。後になって。

 稲垣 最初は絶対反対だったのに、なぜぐずぐずしていたんだ、みたいなことを書いているでしょ。よくみると、実におかしな主張をする。
朝日が書かないことはニュースじゃない。この傲慢さが非常識を生んでいるんですね。
戦前戦中の栄光を今なお引きずっているわけですね。
重症ですね。

相も変わらぬ論説の体質

石川 いまの朝日新聞、秋山社長が、解体的出直しを宣言しましたが、昔に比べると変わっているのでしょうか。

 本郷 私は最近、変わってきたなと思うことがある。とくに中国報道ね。もう、かつてのように相手が嫌がることは書かないとか、きれいごとだけ書いてればいいという時代ではなくなってきている。それは何故か。インターネットの影響ですよ。たとえばきのう、おとといの事件が、隠しようがなく流れるでしょう。

 6月に起きた貴州省の少女強姦事件で、1万人クラスの暴動が起き、みんながハンディカメラで撮影してそれを流すわけでしょ。自由社会で最初に報道したのは、フランスのテレビですよ。それをやると、バーッと他のメディアも取りあげる。そうすると、嫌がることは書くなとはいえないし、逆に何やっているんだ、おまえらは!となってくる。

 たとえば4月の朝日の紙面では、中国で虐げられている活動家がどんな目に遭っているか、9人並べて紹介してましたよ。こういうことは、かつてはとても考えられなかった。もはや、上からの統制は利かないし、むちゃな統制もしない。真実の流れに任せていこうという姿勢が、秋山社長になって芽生えていると思う。

 石川 社内の風土は。

 稲垣 いままでのような中国報道では、読者に決定的にソッポを向かれる。世の中の雰囲気がね、『諸君!』とか『WiLL』とか、もちろん『正論』、そういう雑誌もあるけれどさ。それに週刊誌も全部中国のいろんな悪いところ、欠陥を洗いざらい書いてくる。それは、結構浸透しているでしょう。

 しかも、決定的なのが毒入りギョーザ事件だな、中国はやっぱりおかしい、気をつけないとどうごまかすかわからないと国民がしっかり認識しているし、中国のやり方がばれて、呆れられているわけでしょう。インターネットで情報を直接入手できるから、新聞を読むと、いかにウソが多いかがわかる。だんだん見放されてくるんじゃないかと思うな。中国に下手に迎合したような記事を書いたら、自殺行為ですよ。そういう意味で、社会状況が変わってきたんだよね。

 本郷 中国に対する日本の国民感情が急速に変わっているでしょ。ギョーザ事件でも、結果として中国が嫌いという声が6割ぐらいあり、東シナ海のガス田の問題でも、中国という国は気を付けないといけないぞ、という警戒感が広がってきています。

 中国の所得格差なんかの問題でも、NHKが特集でやるでしょ。これはとんでもないことになってきたぞと、国民がわかってくるわけでね。それからこの間の長野のオリンピックの聖火ランナーの問題ね。これも、ひどい。ひと様の座敷で、あんな旗を振り回して、いったい何様なんだという反応が、次から次に出てくる。

 稲垣 毒ギョーザ事件でも紹介された無菌豚でも飼っていたのかと思わせる作業室の映像もすごかった。ピカピカに磨いた部屋を、これが作業室ですって中国は平気で出すでしょう。あれを見て、誰もが「これはウソだろう!」と思う。中国は臆面もなく出しているけど、それがウソだと思われていることを知らないんだよ。気がつかない。

 いわゆる聖火リレーのときでも、フランスで轟々たる批判があったけど、屈強の若者に制服着せて、青シャツ隊にして、ランナーの周りを取り巻く。チベット旗でも持っていようものなら殴りかかる。そんなことを長野まで来て平気でやっているわけですよ。そんなことやったらかえって日本人の反感を買うぞということに気がつかないんだよ。中国という国は、もともと非常に酷薄な社会なんだよ。だから自己主張も120%までやらないと通用しない。
インターネットの普及により嘘がつけなくなったって事ですよね、裏を返すと中国がベールに隠されたままだったら現在でも嘘やごまかしを報道していた可能性は考えられますよね。
だったら心を入れ替えたじゃなくて仕方なく流れに沿った感じになった。。。どう思います?

「独りよがり」は旧日本軍とウリ二つ

 石川 稲垣さんも、やっぱり朝日新聞の最近の中国報道は変わってきたと思いますか。

 稲垣 うん、ちょっと変わってきたのは事実だ。少しまともにやれば、多少は取材力はあるし、優秀な記者もいないことはないから、それなりの成果は上がるんですよ。だけど、以前はひどかったし。しかし変わったのは報道関係に限った話だね。論説は相変わらずだな。

 本郷 だから、私は論説委員室を廃止しろと言っている。けど、まだ相変わらずだね。定年になったことだし、若宮啓文氏(前論説主幹)の降板は大いに観迎だったけど、まだ「本社コラムニスト」で残っている。ああいう人間を支持する同志が、いまだにいるんです。

 石川 論説は変わらない気がしますね。記事と論説が全く逆のときがある。

 本郷 新旧の交代中は、それはしょうがないかも。
中略
 本郷 とにかく朝日には、頭でっかちな秀才みたいなのばかり入るわけだ。ところが、日本人が言う「秀才」は、非常に間違って認識をされてるんだね。要するに、試験ができればいい、ということなんですよ。だから、先生が教えてくれたことをきれいに覚えてきて、そのとおりに答案を書けば、優等な成績を取って、進学校に入って大学入試も受かる、入社試験もとおるわけだ。

 しかし、人間は間違うんですよ。間違ったときに、「私は間違うはずがない」と間違うのが、日本型の秀才なんだな。朝日では、それが無謬主義になっているから、世間の常識が社内では通用しない。この間の、鳩山前法相を「死に神」にしたコラムなんかも、後であんな言い訳を書いてみたって、ちっとも謝ったことにならないし、釈明になっていない。

 そこに気づいてくれれば救いがあるが、気づいてないでしょう。逆に、己が正しいと、世間を見下す。役人の世界によくある行動パターンが、朝日人の本質みたいなところにもできてしまっていると思うんだよね。稲垣さんが言ったように、往生際が悪いのもそのせいよ、ほんとに。

 稲垣 教科書を一所懸命読んで、教科書どおりに書いて、いい成績を取ってきたやつがそのまま入って。朝日に入っても、教科書どおりのことを書いてるから。

 旧海軍と一緒なんだよ。日露戦争で、日本海大海戦で勝った東郷元帥の書いた教科書を、何十年もそのまま拳々服膺してやったらね、ボロ負けしたわけだな。それが最後までボロ負けするということに気がつかないというところが、また悲劇なんだよな。

 朝日の論説の本質は「独りよがり」です。日本の敗戦の要因となったレーダー開発の遅れも、夜戦をお家芸としていた日本海軍の水雷屋連中が「そんな強力な電波を出したら、忽ち敵にこちらの位置を知られる」と強硬に開発に反対したからです。

 しかし、敵がレーダーを開発すれば、夜でも一方的に狙い撃ちされる。同様に日本が戦争を放棄しても戦争は日本を放棄しない。憲法九条があるからといって金正日が日本への武力攻撃を遠慮するなんて有り得ない。それを阻止しているのは九条ではなくて日米安保です。九条に依存する朝日は「独りよがり」そのものでしょう。

 本郷 いや、私はだから、朝日新聞の役割はもう終わったんじゃないかと思うことすらある。だから、ネットの時代に本当に生き残りたいなら、本気で換骨奪胎しなきゃだめよと言っている。往生際が悪いですよって。
朱に交われば赤くなるっていうんですかね、こういうのって。
秀才だとしても社風がまっとうならば、そこから学び世間に順応するように変わっていくのですが、そもそも会社自体が無謬主義なのだから、世間の常識の可謬主義は身につくはずがない。
モーニングショーの玉川徹などはまさにその代表格と言ってよいでしょう。
戦前戦中の旧日本軍は大日本帝国でいまのこの国は日本国であります。
このことがわからいのならば朝日新聞は日本のメディアとは言えないと私は思います。

まさに朝日が偏向報道をする理由がここにあると思います。

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