議員年金廃止&東日本大震災で自らトラックを運転した菅原経産大臣、国土強靭化で災害対策を強化した二階幹事長

菅原経済産業大臣が13年前の疑惑が急浮上し、野党から責められている。また、台風19号による被害をめぐり、二階幹事長が「まずまずには収まった」などと発言したことについて、野党議員から責められまくり、「表現が不適切だった」として、発言を事実上撤回した。

もちろん、こうしたことが事実なら褒められるべき物でないが、これらの人を何とか貶めるのが目的で、大昔のことを穿り返したり、言葉の揚げ足を取ったりする国会は見るに見かねる。たまたまこの二人が今槍玉に上がっているが、次々にこうした観点での議論は続くのであろう。

私は、こうしたことに正直あまり興味がない。国民の生活にこれが何か関係があるのだろうか?

今のこの災害の残状を見る限り、そんなことする暇があるなら、新しい治水政策の議論や過去の反省等をして欲しいものだ。

メディアや野党から両者から責められる二人だが、秘められた功績があることを一応紹介しておこう。そして、こういった揚げ足取りが不毛なことも、だ。

議員年金廃止の先頭に立っていた、菅原一秀氏

菅原氏の秘められた功績の一つが、悪名高い議員年金を廃止したことである。

2006年4月1日、国会議員互助年金制度が廃止された。この議員年金は、10年以上、国会議員を務めていれば、自動的にもらえるというもので、受給額は最低でも年412万円(在職年数10年)で、在職1年増える毎に年額8万2400円増えた。

在職56年であれば年額約742万円になるという凄さだ。この問題点は約7割が税金からの支出となっていることもそうだが、この議員年金欲しさに何が何でも10年以上の任期にしがみつこうとする政治屋が続出したことだ。また、少しでも年金を増やそうとして現役にしがみつく政治家も続出し、政治家の高齢化を招いた。

しかし、だからこそ、議員年金廃止は盛り上がらないし、抵抗勢力の反対を受けたのだ。

ちょうど約13年前の同時期、この抵抗勢力と孤独な戦いを繰り広げ、勝利したのが、菅原一秀氏だ。

私は衆議院議員に初当選の時から、国民の年金の議論をする前に議員特権といわれる国会議員互助年金を廃止せよと訴えた。

厚生労働部会や委員会でものべつまくなし発言を続けた。

ここで言う話じゃないだろ!パフォーマンスだ!

等々、掛け金を払い、引退後に受給を約束されていた先輩議員からさんざん言われたが意に介さなかった。

(中略)

そして、動いた。

若手議員の賛同をつのり、最後、議員立法で議員年金廃止法をつくった。

そして、それが結実。

かなりの高いハードルを越えることの連続だったが、今でもささやかな自負である。

引用元 議員年金復活?断固反対!

この成果により、地方議員の議員年金も廃止されたのである。そして、ゾンビのように時折出てくる、地方議員や国会議員の議員年金復活の議論が出てくると阻んでいるのが、菅原一秀氏なのである。

「このままでは議員のなり手がいなくなるとの議論もあるが、そんなことで議員にならないなら出てこない方がいい」

「厚生年金に加入するという論も議論の余地があるが、以前のままの議員特権といわれる年金制度はだめだ!」

「ましてや、それを足がかりに国会議員互助年金復活などとは断じて許されない。」

菅原氏の行為が事実ならばもちろん問題だ。

しかし、どの議員でも言えることだが、その議員が国民のために何をしてきたかを忘れてはならないし、国民は知っておく必要がある。

東日本大震災で、自ら支援物資を運ぶ!

殆ど菅原氏がPRしていないので、知られていないが、菅原氏は、自ら1.5トントラックを運転し、震災のたった9日後に物資(米や水、マスクなど)を満載したトラックで被災地に駆けつけた。

3月20日 事務局次長が2班に分かれ、被災地に救援物資を搬送。

第1班(福島県北部・宮城県南部)長島忠美衆議院議員、徳田毅衆議院議員

第2班(宮城県北部・中央、岩手県南部)菅原一秀衆議院議員

党災害対策本部事務局次長・長島忠美、徳田 毅、菅原一秀、各衆議院議員が今朝、物資を積んだトラックを運転し現地入り

(中略)

菅原議員は仙台から多賀城、午後5時に塩釜の避難所に到着し物資を届けている。「避難所も津波で泥があがっており、生活物資が何もかも足りない」

引用元 震災後80日間の自民党の動き:救援物資搬送情報

多くの野党議員が物見遊山がてらに被災地に押しかけ、災害担当者に説教をかます中、見上げた行動である。この他に、菅原一秀氏は、ランドセル240個を陸前高田市の被災地に直接届けている。

二階幹事長が主導した、国土強靭化政策が被害を最小限に抑え込んだ

民主党政権が削りに削った治山治水対策を復旧させ、また、将来の災害に備えるために二階幹事長が主導したのが、国土強靭化政策だ。

通常であれば、一度予算という物は下げてしまうとなかなか元に戻らない。民主党政権で、治水関係の予算は大幅に削られてしまった。これは以前述べたとおりである。これを自民党の復権後に、回復するため、二階幹事長は、国土強靭化政策をぶち上げ、災害に強い国づくりを目指すとした政策である。

人と自然の共生を前提に、創意工夫し、積極的に防災・減災に取り組み、国民の生命・財産を守っていかなければなりません。それが政治の責務です。「コンクリートから人へ」という寝言を言っているわけにはいきません。

引用元 二階俊博国土強靱化総合調査会会長に聞く

まさに、この掛け声によって急速に防災体制を立て直したのが、安倍総理であり、それを支えたのが二階幹事長なのである。

国土強靭化政策によって、被害を最小限に抑え込んだのが現状であり、二階幹事長がそれを誇ろうとするのは当然のことだ。こうした事実を多くの国民は忘れてしまっているし、メディアもちゃんと報道しない。メディアの批判は、揚げ足取りでしかない。


先輩議員を敵に回して議員年金のような既得権益を廃止し、身一つで支援物資をもって被災地に入るのが菅原一秀氏であり、それを批判する野党議員は既得権益を守護し、被災地に観光に行く連中なのである。

世間ウケだけで災害対策予算を削りに削った野党議員が、その後、何とか災害対策のインフラを充実させてきた二階幹事長を批判する。

どちらが政治家であり、政治屋なのかは明らかだ。

メディアは正しい報道をし、国民に正しい情報を届けなければならない。

そうしたメディアが日本に殆どないことを憂うにはいられない。

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