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元徴用工たちの証言「日本人も同じ賃金だった」「お金もいらないし、補償をして欲しいとも思わない」「日本人のほうが韓国人より、いい人が多かった」ネット「金が欲しいのは、当人の子孫たち」

12月下旬、1年3か月ぶりの日韓首脳会談が実現しようとしている。そこで焦点となるのが徴用工問題だ。昨年末の韓国最高裁の判決によってくすぶり続けている問題は、実際に「元徴用工」たちの肉声を聞くことによって、違う核心が見えてくる。ジャーナリストの赤石晋一郎氏が現地取材で得た証言とは──。

* * *
ソウル市の郊外、城南市で待ち合わせした老人は、独りで暮らす自宅で取材に応じてくれた。

「日本人のほうが韓国人より、いい人が多かったと私は考えています。私が炭鉱で働いていた時代、日本人にはとても親切にされた思い出があります」

こう語る崔漢永氏(91)は、徴用工として日本で働いた経験を振り返り、「私は日本人が好きでした」と語った──。

中略

しかし、果たして当事者である元徴用工たちは、本当に金による解決を望んでいるのだろうか。

◆「日本人も同じ賃金だった」

冒頭の崔漢永氏が日本に渡ったのは15歳の時だったという。

「私は自分の意志で日本に行きました。当時、父親が傷害事件を起こして逮捕され、罰として日本での強制労働を命じられた。しかし父を失うと9人の大家族なので困る。そこで私が代理として『日本に行く』と手を上げました。年齢も18歳と偽りました。

日本での働き先は、福岡県飯塚市にある三菱炭鉱でした。炭鉱には私以外にも何百人もの動員された朝鮮人がいました」(崔氏)

徴用工として日本で働いた崔氏。しかし、日本人からの差別を感じることはなかったと振り返る。

「私は坑道を作る仕事を主にしていました。現場では日本人と朝鮮人が一緒に働いていた。休みは月に1日か2日でしたが、日本人も朝鮮人も同じ労働条件で、同じ賃金をもらっていました。朝鮮人だからと差別や暴行を受けるということもなかった。

特に私は15歳と若かったこともあり、上司のサキヤマさん(日本人)に大変可愛がられた。『私の娘と結婚しないか?』と言われたこともありました」(同前)

◆「賠償裁判では何も得られない」

崔氏は日本人に悪感情はないという。私が「徴用工に慰謝料は必要だと思うか?」と問うと、崔氏はこう語った。

「(元徴用工が)裁判を起こしても何も得られるものはないよ。この高齢でお金を手にしてもしょうがないだろう。私はお金もいらないし、補償をして欲しいとも思わない」

そのハッキリとした物言いは、慰謝料ありきで徴用工問題を語る文在寅政権に、静かに異を唱えているようにも思えた。

同じように差別はなかったと語るのは金炳鐵氏(96)だ。金氏は20歳のときに地元・麗水郡庁からの徴用命令を受けた(※注)。行き先は佐賀県だった。

【※注/戦中の労働力不足を解消するために1939年に制定された国民徴用令によって、日韓から多くの人間が動員された】

「私が派遣されたのは佐賀県西松浦郡のウラサキ造船所でした。私は資材課に属し、工場内で出る屑鉄を集める仕事をしていました。集めた屑鉄は、鉄工場に輸送され再び製鉄されるのです。造船所で働く2000人のうち、700人が朝鮮人でした。朝9時から4~5時頃まで働き、日曜日ごとに休みはありました」

ウラサキ造船所とは、当時、佐賀県に存在した川南工業の浦崎造船所だと思われる。軍需工場だった浦崎造船所では二等輸送艦や人間魚雷「海龍」などが大量建造されていた。

戦争末期ということもあり、食料事情は日本全体で厳しかったと語る。

「そこはおかずが良くて、よく美味しいブリとかトビウオが1~2匹出た。でも原則はお米と麦を混ぜたご飯を一杯しか食べられない。だからお腹が減る。あるとき、ご飯を盗み出して山中で食べた。そのことがバレて、日本人管理者に殴られたこともありました。でも、(ルールを破ったので)たいしたことではないと思っています。基本的に日本人が朝鮮人に暴力を振るうとか、虐めるようなことはありませんでした」

金氏の証言もまた、韓国内で語られている“被害者像”とは異なるものだった。

「私は労働が強制的だったとか、奴隷的だったとは思っていません。そのときは(植民地時代なので)日本人の命令が全てですから、言う通りにするしかなかった。徴用工時代がいい思い出とはいえませんが、学校で日本語を勉強していたので日本語で職員と話を出来たのは良かったですね。ただ鹿児島や宮崎県の人だけは方言がきつくて、何言っているかわからなかったですけど(笑)」

派遣された場所によって労働環境や実情が違うと感じさせられるのが、姜彩九氏(92)と孫義奉氏(91)のケースだ。同郷だった二人は10代の頃に徴用命令を受けて、ともに大阪のクボタ鉄工所に送られた。

「500人ほどの朝鮮人がクボタ鉄工所に送られていました。日本人から差別とか、奴隷のように働かされたという記憶はないですね。クボタでの仕事は鉄材を運ぶ仕事ばかりでした。それよりも恐ろしかったのは米軍の空襲です。夜に米機が姿を見せると、空襲警報が鳴りみな逃げ惑った。とても仕事を覚えるというような状況ではありませんでした」(孫氏)

1945年に米軍による本土爆撃が本格化、ますます仕事どころではなくなったという。姜氏が苦笑いしながら回想する。

「空襲が酷くなってからは、工員は散り散りとなり、私は兵庫県の山中に逃げ込んで野宿生活を送っていた。だから大法院判決で元徴用工に対して慰謝料1億ウォンの支払い命令が出たと聞くと、私はその金額をもらえるほどの仕事を日本ではしていないと思ってしまうよ。補償はして欲しいけど、(高額な慰謝料の話を聞くと)私たちがお金を吸い取る掃除機みたいだと思われてしまうね(笑)」

元徴用工の口からは、全ての人が“奴隷労働”に苦しんでいた訳ではないという事実が語られた。歪んだ歴史論争のなかで当事者たちの声はかき消されている。

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191213-00000007-pseven-kr&p=1

ネットの反応

・本心は解決ではなく、定期的な銭の無心です。

・あちらが日本に金を出させる事にこだわる理由、その狙いは、募集工への補償ではなく、基金団体を創り、その資金を元に反日工作、北への支援をすること。癒し財団の残りの5億円も同じ目的に使われた可能性が高い。

・当人たちは金が欲しいわけではない。

金が欲しいのは、当人の子孫たち。

年金をあてにする葛と同じ理論

・そもそも解決を望んではいないだろう。
解決したら被害者ビジネスが成立しなくなる。

・当事者達の声など反日団体はどーでもよいのです。
彼らは日本悪を世界中に広めて陥れる。未来永劫日本悪であることを望むのです。
そのためには活動資金が必要。カネカネは結局活動資金です。でかくなれば今度は世界中から募金が集まる。それが目的です。

・慰安婦おばあさんも同様に「強制されていなかった」と最初は言っていましたが、朝日のねつ造記事を境に証言が次々と変わってしまいました、

周囲が都合の良い証言を求めて おばあさんたちの証言が変わったことに何の疑問も感じないのでしょうか

・問題が解決しちゃ困るんでしょ。国が成り立たなくなります。よくわかりました。民主化、国際社会への登場以来、どんどんひどくなりました。日本政府の責任も大です。

・いつも疑問に思うことだけど、この人たちは国交結ぶときに徴用された人たちに払ってくださいと大変な金額を韓国政府に支払ったことを知っているのでしょうか、それとも知っていながら今日みたいなことを言い続けているのでしょうか?
是非そこのところをこの人たちに聞いてみたいです。

・もうこの際、日韓両政府、日韓両有識者が対面してそれぞれの言い分をテーブルで挟み、公開論破を両国民向けにテレビなどで中継するとかして欲しい。

言うまでもないがそれぞれヒダリの人は相手側についてね

・今出てきても既に遅い話になってますね。
解決するには今の政権を自らの国の力で壊してからでないと意味も少ないでしょう。

・彼らの言うことが真実で、日本はずっとそれを主張しているが、向こうは絶対に認めない。本人の都合ではなく、支援団体にとって都合の悪い事実だからだ。

植民地とよく言うが、事実は向こうの人達も含めて、日本人として扱われていたということ。同じ日本の法律が適用され、日本人として同等に扱われていた。

だから、日本人が行った場所で、日本人と同じ労働条件で働い。慰安婦だって同じこと。

同じ扱いを受けたはずなのに、なぜ自分達だけがひどい目にあったことになっているのか?

この記事のように正直な人ばかりだったらいいのに・・。

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