悪質!メディア「バッハ会長が犠牲を払えと言ったゾォ!!」 → “翻訳ミス”との指摘が出る → 急速にバッハ会長叩きが沈静化。無責任では??翻訳ミスへの反論は??
我国のメディアは5月24日、一斉にバッハ会長の発言を叩いた。
しかし、それに対してジャーナリストから翻訳ミスでははないか?との指摘が出ると、この件でのバッハ会長叩きは沈静化してしまったのである。しかもこれを報じたメディアは翻訳ミスへの反論も肯定もしていない。
あまりに無責任すぎる。
悪質!メディア「バッハ会長が犠牲を払えと言ったゾォ!!」 → 翻訳ミスとの指摘が出る
共同通信は5月24日、バッハ会長が東京五輪開催を実現するためには「われわれはいくらかの犠牲を払わなければならない」と発言したと報じた。
これを各メディアが批判的に報じ、一気に大炎上した。
5月24日、バッハ会長の発言が報道されると、Twitterでは「反発必至」「五輪のため」が日本のトレンド入り。「一線を超えた」など、発言を非難する声が相次いだ。
開催するならば何らかの犠牲は避けられず「ある意味正直」との声もあるが、東京都などに緊急事態宣言が出されている状況での発言に「五輪は人の命を犠牲にしてまですることじゃない」「人命軽視」と強い言葉で批判するコメントも。
もしも本当にバッハ会長が五輪開催の為に犠牲になれと我国に発言したのであれば、とんでもないことである。
しかし、ITジャーナリストの篠原修司氏は、本件に関して原文をあたったところ、五輪開催には反対だが、本件に関しては翻訳のミスリードだとフェアな指摘を行っている。
まず篠原氏は、バッハ会長がそんな発言をするとは思えないと指摘する。
これらの流れを見て思ったことは、「本当にそんな発言をしたのか?」です。
“オリンピックを開催したい人”が、開催について批判もあるなかで「感染するかもしれないけどお前らみんな犠牲になれ」とは言わないと思うんですよね。
その通りだ!
バッハ会長がどんなに悪人であったとしても、流石にこんな間抜けな発言はしないだろう。むしろ悪人であるならば、もっとしたたかな発言をするはずだ。
そして篠原氏はバッハ会長の発言の原文を探し出し、我国のメディアは翻訳のミスリードだと指摘するのである。
記事内にバッハ氏の発言として「We have to make some sacrifices to make this possible(オリンピックを開催するためには、我々はいくらかの犠牲を払わなければいけない)」とあります。
今回の問題点は、「We」をどう翻訳するのかという点です。
普通に読めば「我々」や「私たち」です。デイリースポーツはこれを「誰もが」と翻訳しました。そして、「誰もが」=「全員」と受け取れるため批判が起きました。
本当に「誰もが」なんでしょうか?
原文とみられるインドの記事では、バッハ氏は次のようにも発言しているとあります。
The safety and security of our everyone is utmost priority. But together with our Japanese colleagues we will have to ensure that our athletes came come together and compete in a safe environment.
「皆さんの安全と安心は最優先です。しかし、日本の同僚と一緒に、選手たちが安全な環境で一緒に競技できるようにしなければなりません」
批判されているように「命を犠牲にしろ」「感染リスクを受け入れろ」であれば、「皆さんの安全と安心は最優先です」と喋っているのはおかしいように感じます。
(中略)
バッハ氏が「犠牲が必要」と語っているのは選手や大会関係者です。
そして、その理由は「すべての参加者にとって安全で安心なオリンピックを確保する」ためです。決してオリンピック開催のために「命を犠牲にしろ」とは言っていません。
その通りだ。どう見ても篠原氏の指摘が合理的で、バッハ会長は「選手や大会関係者の犠牲が必要だ」と言っているだけなのである。
急速にバッハ会長叩きが沈静化。無責任では??翻訳ミスへの反論は??
恥ずべきは我国のメディアである。
この翻訳ミスとの指摘後、急速にバッハ会長叩きは沈静化し、メディアも左派もほとんどこの件では触れていない。翻訳ミスとの指摘に対し、受け止めるどころか、反論すらない。ほとんど無視。
こいつは悪人だと決めつけて、その上で言葉を解釈し、叩くだけ叩いて、勘違いとの指摘が出るとなかったことにする。我国のメディアは、こう言う実態なのである。五輪反対は、こう言う適当な決めつけと思い込みでされていると思えてしまう。