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【維新・松井代表】枝野代表の「辺野古反対」表明に対し「これがまっとうなんでしょうか?」

松井代表のツイート

松井代表がツッコミを入れたのは、枝野氏が、鳩山政権時に容認した米軍飛行場の辺野古基地移設を『党が違う』という理由で反対の姿勢をみせたことである。

枝野幸男代表が「辺野古反対」表明 鳩山内閣では容認も「立民は新しい政党だ」

立憲民主党の枝野幸男代表は29日、那覇市で記者会見し、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に関し、事実上反対する意向を表明した。「辺野古に新たな基地を建設しない解決策に向け、米政府と再交渉すべきだ。沖縄の分断と対立を生む建設を強行し続けることは、あまりにも無理がある」と述べた。

 結論を得るまで、建設工事の無期限停止を求めていく考えも示した。

 枝野氏は、移設先について「最低でも県外」を掲げながら、辺野古移設に回帰した鳩山内閣の一員だった過去との整合性を巡り「立民は新しい政党だ。過去の教訓を踏まえて、党内で移設問題を慎重に検証、議論してきた」と説明。基地問題などに苦しむ沖縄の状況にかんがみ、今回の見解表明に至ったとした。

 立民は同日、沖縄県連を設立した。 https://www.sankei.com/politics/news/180829/plt1808290020-n1.html

辺野古移設への経緯

・1995年に発生した沖縄米兵少女暴行事件を発端に、沖縄で米軍駐留に対する大規模な反対運動が起こった。(これを契機として、日米で構成する日米安全保障協議委員会(「2プラス2」)は1995年9月27日に初めて代理出席なしのフルメンバーで開催され、続いて同年11月、沖縄における施設及び区域に関する特別行動委員会(SACO, Special Action Committee on Facilities and Areas in Okinawa)を設置することを決めた。
・1996年4月に日米両政府が普天間基地の返還に合意。(移籍先に名護市・辺野古案が浮上)
・1997年12月に行われた名護市の住民投票では、代替施設の受け入れ反対票が過半数をしめた。しかし、比嘉市長(当時)は辞任と引き換えに基地の受け入れを表明。
その後、沖縄県知事選挙、名護市長選挙では、条件付きだが受け入れを容認する候補が当選し、辺野古への移設計画は少しずつ前進。
・2006年、建設場所について合意形成に時間を要したが、当初案を修正した「V字滑走路案」で名護市も合意。(5月には、日米両政府は米軍再編ロードマップを発表。2014年を目標に、普天間基地を名護市辺野古に移設することで正式に合意。)
同年の11月に行われた沖縄県知事選挙では、計画を容認する仲井眞弘多氏が当選。
・2009年、自民党から民主党へ政権交代
民主党の鳩山代表(当時)が「最低でも県外」と発言。民主党マニュフェストには盛り込まれていなかったのだが、選挙中に代表が発言したため事実上の公約(口約)となった。
鳩山政権が誕生し県外移設を模索。
・2010年1月の名護市長選挙では、県外移設を主張する稲嶺進氏が当選。(1996年に辺野古が移設先として浮上して以来、市長選挙では3回連続で容認派が当選してきましたが、初めて移設反対派の候補が当選。)
だが、同年5月に発表された日米共同声明では、辺野古移設案に回帰。(鳩山氏は辺野古以外に「腹案がある」と発言していたが、結局、代替案を見つけることができなかった。)
その反面、沖縄の世論は県外移設への期待が高まっており、辺野古移設を容認していた仲井真知事も、11月の知事選挙では「県外移設」主張に転じ、再選を果たします。
結局国としては、辺野古移設に戻ったわけだが、一度県外移設で盛り上がった沖縄はそうはいきません。

立憲民主党は新しい政党だが、鳩山政権の中枢にいた枝野氏に「移設反対」を語る資格はない

民主党(社民党・国民新党も)は安易に考えて県外移設を公言していたが、実際に政権を取って取り組んでみたら容易なことでなかったということです。

選挙の結果民主党は勝利し、社民党・国民新党との連立政権(鳩山由紀夫内閣)が成立することになった。3党連立政権合意書には普天間問題は明記されなかったが、選挙戦において民主党や社民党の責任者から、普天間基地の現行移設案に対する反対論が繰り返し述べられた。 一方自民党もマニフェスト違反だと追及をしたが、それに対し、岡田克也外務大臣は「公約というのはマニフェストです。ですから、総理も、望ましいという言われ方はしました。私たちも、それは県外、国外移転ができれば望ましいという思いは強くあります。しかし、あえてマニフェストの中では普天間という言葉も書きませんでしたし、「米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む。」という表現にとどめたわけですから、そこは違うということを、我々の公約というのはこのマニフェストですから、私たちの思いの話と公約、マニフェストの話、それをあえて混同して、そして質問されるのは私はおかしいと思います。」と普天間移設問題はマニフェストではないと説明したものの、事実上の政権公約として捉えられたことが、後の連立政権を揺るがす大きな問題となっていった。Wikipediaより

マニュフェストにあろうがなかろうが、国民は選挙活動で発言したことは公約と受け取ります。現にその後の沖縄の各選挙では移設反対を訴える候補が次々と当選し、『辺野古移設反対』の気運はドンドン高まっていきました。

つまり、沖縄を一番裏切ったのは当時の民主党政権であります。そして当時の鳩山政権には、内閣府特命担当大臣(行政刷新担当)として枝野幸男氏も国務大臣として、他にも菅直人氏はもちろん社民党の福島瑞穂氏も名を連ねております。

枝野氏は「沖縄の分断と対立…」といいますが、分断させたのは当時の民主党であり、党が変わったといえ閣僚で中枢にいた枝野氏にいまさら『辺野古移設反対』を語る資格はなく、立憲民主党の掲げる『まっとうな政治』とはかけ離れているのではなかろうかと思う。

短い文言だが、松井代表のツイートにはこれらの意味が含まれているように思えます。


松井一郎 プロフィール


松井 一郎(まつい いちろう、1964年1月31日 – )は、日本の政治家。大阪府知事(公選第18-19代)、日本維新の会代表(第2代)、大阪維新の会代表(第2代)。
大阪維新の会幹事長、維新の党幹事長、維新の党顧問、日本維新の会幹事長、大阪府議会議員(3期)などを歴任した。住之江競艇場の照明・電気設備関係の工事・保守を一手に請け負う株式会社大通の元代表取締役。

生年月日 1964年1月31日(54歳)
出生地 日本の旗 日本 大阪府八尾市
出身校 福岡工業大学工学部電気工学科卒業
前職 大阪府議会議員
現職 大阪府知事
所属政党 (自由民主党→)
(大阪維新の会→)
(大阪維新の会/日本維新の会→)
(大阪維新の会/維新の党 →)
(大阪維新の会/おおさか維新の会→)
大阪維新の会/日本維新の会

松井代表のツイートに対するコメント

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