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朝日新聞「「楽園の国とだまされた」 北朝鮮帰国事業の脱北者が法廷で訴え」 一色正春氏「しれっと他人事みたいに報じているが…」




 北朝鮮で過酷な生活を強いられた。残された家族と再会したい――。北朝鮮帰国事業に参加した60~80代の脱北者5人がこう訴え、北朝鮮政府に計5億円の賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が14日、東京地裁であった。脱北者は法廷で「餓死者が相次ぐ中、思想の自由もなく人権を抑圧された」と訴えた。

■原告の女性「地獄の日々だった」 夫は食糧難で死亡

帰国事業は日朝両政府の了解のもとに行われ、1959~84年に在日朝鮮人を中心に計約9万3千人が北朝鮮に渡った。60~70年代に同事業に参加した原告らは北朝鮮で移動の自由もなく出国も許されなかったため、中国国境の川を渡るなどして2000年代に脱北した。

日本人配偶者として在日朝鮮人の夫と渡航した斎藤博子さん(80)は本人尋問で、渡航前に朝鮮総連から「家も仕事も用意されていて何の心配もない」と説明を受けたと話した。

しかし現実は全く違い、「地上の楽園と聞いていたが、地獄だった。だまされた」と涙ながらに訴えた。食糧難で夫を失い、子どもは今も北朝鮮に残ったままだという。家族で渡航した高政美さん(61)は脱北に失敗し、拷問を受けた経験を語った。

原告側の弁護団は法廷で、事業終了から30年以上過ぎたことで、不法行為から20年がたつと損害賠償を求める権利が消える「除斥期間」のハードルがあるとあえて説明。だが「渡航から脱北までを一連の被害」と考えればクリアできると述べ、「裁判所は北朝鮮の人権侵害の責任を問える最後の場。人生を奪われた被害者を救済しないといけない」と訴えた。

全文はソースで

https://news.yahoo.co.jp/articles/cf17671467e6f27200ea26d3a9c67595eb47a091

当時は、北朝鮮の実情について現地取材に乏しく、ソ連の援助もあって急成長する北朝鮮と、日本国内に密航して日本赤十字社、列車、船舶を爆破しようとする韓国政府によるテロ工作員の摘発事件が明らかになり(新潟日赤センター爆破未遂事件)テロ国家の韓国というイメージがあった。吉永小百合主演の映画『キューポラのある街』で知り合いの帰国を喜ぶ場面があるように、一般の日本人も帰国事業に概ね好意的だった。このため、日本のマスコミは左派右派を問わず帰国事業を人道的な事業と捉え、新聞各紙はこぞって帰国事業を歓迎し賛同する記事を書き連ねた。1959年12月24日付産経新聞の「暖かい宿舎や出迎え/第二次帰国船雪の清津入港/細かい心づかいの受け入れ」、1960年(昭和35年)1月9日付読売新聞の「北朝鮮へ帰った日本人妻たち「夢のような正月」ほんとうに来てよかった」、さらに1960年(昭和35年)2月26日付朝日新聞に、次のような記事が掲載されている。

「 帰還希望者が増えたのはなんといっても『完全就職、生活保障』と伝えられた北朝鮮の魅力らしい。各地の在日朝鮮人の多くは帰還実施まで、将来に希望の少ない日本の生活に愛想を尽かしながらも、二度と戻れぬ日本を去って“未知の故国”へ渡るフンギリをつけかねていたらしい。ところが、第一船で帰った人たちに対する歓迎振りや、完備した受け入れ態勢、目覚しい復興振り、などが報道され、さらに『明るい毎日の生活』を伝える帰還者たちの手紙が届いたため、帰還へ踏み切ったようだ[20]。 」
後年、朝日新聞 ソウル支局長(当時)の市川速水記者は、「かつて南の軍事政権と対比させたとき、南はダメだ、北はいいという論調の記事がありました。北朝鮮に対しては、社会主義幻想と贖罪意識に加えて、その『悪い南と対峙している』という面も加わって、目が曇ったんだと思います。帰国事業に朝日新聞も加担した。[…]自分が1950年代、60年代に記者だったら、踏みとどまれたか、まったく自信はありません。」と責任を認めている[21]。

Wikipedia 在日朝鮮人の帰還事業 より







ネットの反応(引用元
最後まで北朝鮮の帰国事業に協力的だった朝日新聞が、自分たちは関係ないと言わんがばかりに、このような記事を載せていることに、マスコミの本質を感じるような気がします。
えっ!北朝鮮への帰国事業をもっとも煽ってたのは、この記事かいてる朝日新聞だったんじゃなかった!?

どの面下げて偉そうな記事書いてるんだ。書いてる暇あったら、原告に、土下座して慰謝料はらっておけ。朝日新聞は、どれだけ罪をおかしてるんだ。慰安婦、徴用工、基地問題など捏造や偏向報道がが多すぎ。

今日もまたこの時間にも朝日新聞の犠牲者が生まれているのかな…。

よりによって反日新聞の朝日新聞がいいますか。当時それを盛んに宣伝した新聞社の責任は重いと思います。それに従軍慰安婦問題を生み出した罪は更に重い。
そのウソで北に行った友人は、帰ってこない。クラス会で、朝鮮人だったけれど、みんな仲良しだった。生きているだろうかと話しあったものだ。ソフトも上手かったし、勉強も一所懸命に頑張っていた。
あっちへ行ってから、どうなったか誰も知らない。悔しいよ。
マスコミは、よいことばかりだし、映画館では、出航のニュースだけ。日本も、まだまだだったし、貧しかった。北は、日本が残した資産を活用して、当時、唯一の工業国だったので労働力が必要だったのだが、日本の自由に染まった彼らは馴染めなかったとか。
それにしても、彼は亡くなっているだろう。残念でならない。
お父さんが先に行って、手紙が検閲を受けると想定し、「こっちはやはり素晴らしい国だった早くおいで」と書けば絶対に来るなという合図として、日本で打ち合わせてから手紙を家族に出した。とかあったな。
北朝鮮訴えて何になるの?
日本国内で訴えるなら日本国内で窓口として動いた総連とか訴えた方が良いのでは?
一部マスコミも一部政党も、この「楽園の国」アピールに加担してなかったっけ?







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