
望月記者「新聞は『オワコン』ではなく社会に不可欠な『フカコン』へ」⇒その言葉を発する側こそが、オワコン化の元凶ではないか?
最近、新聞業界から「新聞はオワコンではない。フカコンだ」という声が上がっている。「新聞力大賞」の創設や、望月衣塑子氏らの「新聞だからこそ掘り起こせる事実がある」との訴えがそれだ。確かに調査報道や記録の力は強みであり、メディアに頑張ってもらいたいと思う人もいる。
しかし、この主張には大きな矛盾がある。新聞が読まれなくなった主因は技術の遅れではなく、信頼の崩壊だ。一方的な論調、都合の良い事実の選別、感情優先の報道が続き、「事実を伝える媒体」から「価値観を押し付ける媒体」へとイメージが固まった。読者は「どうせ同じ結論」と感じ、離れていった。
さらに近年はタイトル詐欺が横行する。煽り見出しでクリックを誘い、中身は薄く、タイトルと記事内容が乖離したものばかり。これは事実伝達より売上・PV優先の証拠である。部数減少の中で数字を取る生存戦略がエスカレートした結果だ。
こうした行為を繰り返してきた側が「フカコンだ」と叫んでも説得力はない。「オワコンにさせた元凶が、オワコンではないと主張する」構図そのものだ。信頼を失えば強みも無力化する。読者は一次情報に頼らざるを得なくなり、検証の手間がすべて転嫁される。
本当にフカコンになりたいなら、賞の創設や自己賛美ではない。バイアスを自覚し不利なデータも載せ、タイトル詐欺をやめ、過去の姿勢を検証することだ。元凶が「まだ必要だ」と叫ぶだけでは、オワコン認定は加速するだけである。
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