
玉城知事の「抗議活動の安全性は実施主体が確保すべきで、県に権限はない」発言⇒正論に聞こえるが、責任逃れの詭弁ではないか
辺野古沖での抗議船転覆事故を受け、沖縄県の玉城デニー知事が語った発言が大きな波紋を広げている。
知事は「抗議活動の安全性は実施主体が確保すべきで、県に指導権限はない。違法行為は所管機関が対応すべきだ」と述べた。
この発言は、憲法21条が保障する表現の自由や行政権限の範囲を踏まえた法的な正論に聞こえる。だが、これまでの経緯を振り返ると、単なる責任逃れの詭弁ではないかという懸念が拭えない。
相次ぐ事故と行政の不対応
問題視される背景には、過去の対応がある。
2024年6月、名護市安和桟橋で抗議活動中の女性を止めようとした民間警備員がダンプカーにはねられ死亡した。当時、事業者側は事故防止のためにガードレールの設置を県へ何度も要望し、費用負担まで申し出ていた。しかし県は「歩行者の通行を妨げる」として拒否し続けた。結果として、車道への進入が容易な状態が放置され、悲劇が起きた。
「権限なし」で済まされるのか
さらに2026年3月には、平和学習の高校生らを乗せた抗議船が転覆し、生徒と船長が犠牲となる痛ましい事故が発生した。抗議活動の激化に伴い、無関係の一般人が巻き込まれる事態が相次いでいる。
道路や港湾の管理者である県には、利用者の安全を確保する明確な責務が存在する。
危険性が予見され、具体的な対策要請があったにもかかわらず有効な手立てを講じなかった過去の判断がある。それにもかかわらず「指導権限がない」とだけ繰り返す姿勢は、行政責任の放棄と言わざるを得ない。法的権限の制約があるにせよ、政治家として危険行為を制止し、安全を呼びかける道義的・政治的責任は残る。
表現の自由は尊重されるべきだ。しかし、公共の安全を脅かす行為まで「自由」の名の下に放置してよいわけではない。
玉城知事の発言は、法的には正しい形を取っている。だが、ダンプ事故での安全対策拒否から転覆事故に至る一連の経緯を重ねてみれば、それは正論を装った責任逃れの詭弁にしか聞こえない。命が失われた事実を前に、行政の長として果たすべき責任から逃げることは許されない。
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