
斉藤鉄夫氏「スタート地点」に違和感 中道改革連合を壊して「核」を語る支離滅裂さと無責任
中道改革連合の斉藤鉄夫顧問が8月31日、「幅広くいろいろな党の方に呼びかけ、新しい形態で中道の塊を作っていく。その核に、今の中道にいるわれわれがなっていく」「我々はスタート地点に立った」と語った。
しかし、この発言ほど現在の中道改革連合の現実と食い違っているものもない。
同じ8月31日、中道・立憲民主党・公明党の3党は合流を断念した。中道改革連合は公明系と立憲系に分かれる流れとなり、事実上の分裂が避けられない状況になった。
それにもかかわらず、斉藤氏は「今の中道にいるわれわれが核になる」と語る。
現在の中道改革連合の衆院議員は49人。そのうち公明出身が28人、立憲出身が21人だ。つまり、公明系が離脱すれば、中道の構成は根本から変わる。にもかかわらず、まさにその多数派が離れようとしている日に「中道が核になる」と言うのである。
これは単なる表現の問題ではない。自分が語る「核」が、誰によって構成されるのかという基本的な説明が抜け落ちている。
さらに不可解なのが「スタート地点」という言葉だ。
中道改革連合は今年1月に結党し、2月に衆院選を戦った。そして8月末には、立憲民主党との組織的合流も、公明党との合流も実現しなかった。結党からわずか7カ月余りで、当初描いた構想が崩れたのである。
普通なら、ここで問われるのは「なぜ失敗したのか」だ。
ところが斉藤氏から聞こえてくるのは「新しい塊を作る」「スタート地点に立った」という次の構想である。これでは、過去の失敗を検証する前に、次の看板を掲げているようにしか見えない。
しかも斉藤氏は、単なる外部の評論家ではない。公明党前代表として自ら公明党を離れ、中道改革連合の結党に関わった当事者だ。その後、共同代表を辞任して顧問となった。だからこそ、構想が崩れた現在、次の理念を語る前に自らの判断を検証する責任がある。
「中道」という理念を維持することは否定されるものではない。しかし、理念を語れば組織運営の失敗が帳消しになるわけではない。
「核になる」と言いながら、その核を構成する多数派が離れようとしている。「スタート地点」と言いながら、実際には1月の結党から8月までの構想が崩壊している。
この二つを同時に語るからこそ、斉藤氏の発言は支離滅裂に聞こえる。
必要なのは、新しい「塊」という言葉ではない。なぜ自らが作った中道改革連合が、わずか7カ月余りで分裂することになったのかを説明することだ。
失敗を総括せずに「スタート地点」と言い換えても、責任は消えない。むしろ、次の構想を語るほど、結党当事者としての説明責任から逃げているように映る。
斉藤氏が本当に新しい中道を作るというなら、まず語るべきなのは未来ではない。自らが作った中道改革連合の「なぜ」を説明することだ。
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