悪夢の民主党政権の御用学者、飯田哲也氏「戦後最大の危機が日本近代史で最低最悪の安倍総理で起きたのが国民の不幸」と珍説 → 近衛文麿、東条英機、宇野宗佑、鳩山由紀夫、菅直人は無視ですか?
ISEP環境エネルギー政策研究所長を称する飯田哲也氏が、この国難下にあって、安倍総理を誹謗中傷している。なんでも日本近代史上、つまり明治維新以降で最低最悪の総理だというのである。
この御仁、あの悪夢の民主党政権の政府委員を数多く務め、事業仕分けの委員も務めた挙句、あの大爆死した「日本未来の党」の代表代行を務め、比例復活も出来ないほどの大敗をした華麗な経歴をお持ちだ。このことはみなさんに是非お伝えしておきたい。
政治知新は、別に安倍政権の肩を持つつもりはない。良いことは良いと言うし、それ以前になるべく正確な一次情報を伝えたいと思っているだけだ。
フェアな精神無くして、情報発信などするものではない。
嘘の情報発信は犯罪だ。
飯田哲也氏、大暴言!!「戦後最大の危機が日本近代史で最低最悪の安倍総理で起きたのが国民の不幸」と珍説!!
飯田氏は筋金入りの反安倍のようで、以下のような投稿を昨年暮れにしていた。
いや「遺産がない」だけならまだマシ。ここまで国益や経済や国民の富を損ない、虚偽・ねつ造・違憲など行政の中立性や信頼も損なった総理は、歴代最低最悪でしょう。 https://t.co/4MBNMLoRX7
— 飯田哲也(いいだてつなり) (@iidatetsunari) November 21, 2019
しかし、この4月8日という、緊急事態宣言下でも同様の認識のままで、好き勝手に誹謗中傷している。しかも、なんの根拠も示さずに、だ。
「戦後最大の危機」が日本近代史で最低最悪の総理の下で起きた日本国民の不孝。 https://t.co/iJUZ5Utsoz
— 飯田哲也(いいだてつなり) (@iidatetsunari) April 7, 2020
どっちが最低最悪だろうか?我々は、飯田氏がそもそも事実認識のない人物であり、最低であるとまず考えている。
事実最低の宰相は日本史上結構いらっしゃった。日中戦争を悪化させた近衛文麿、対米戦争に敗北して国土を焼け野原にした東条英機、愛人へのお金をケチって最短任期に終わった宇野宗佑、ルーピー鳩山由紀夫、歴史教科書にも無能と書かれた東日本大震災を人災にした菅直人だ。
そして、対米戦争に連戦連敗した東条政権を厳しく批判し、打倒しようとしたのが、安倍総理の両祖父なのである。父方の安倍寛氏は、非戦・平和主義の立場をつらぬき、1938年の第一次近衛声明に反対し、戦時中も東條英機らの軍閥主義を鋭く批判、大政翼賛会にも参加せず、東条内閣打倒を目指した。ちなみに大政翼賛会で活躍されたのが、朝日新聞を中心とした大新聞様だ。
母方の岸信介は、太平洋戦争が膠着した1943年から講和に転じ、サイパン島が陥落すると「本土空襲が必須である以上、講和すべき」と東条英機に堂々と要求した。激怒した東条は、岸に辞職を要求し、憲兵に脅迫させるが、これを拒否し、閣内不一致で東条内閣は崩壊した。
まさに、安倍総理は日本を焼け野原にした、近衛や東条と戦った勇気ある人物の系譜を引き継いでいるわけだ。飯田氏は、だからこそ、東条や近衛を史上最悪と認めたくないのだろう。
悪夢の民主党政権の御用学者、そして、大爆死した日本未来の党!!!
そもそもG7諸国でも最低レベルに死者数を抑え込んでいる安倍総理に対し、あの鳩山・菅よりも最低最悪と豪語する飯田氏は、どのような素晴らしいご実績をお持ちかご紹介しよう。
民主党政権樹立後、鳩山由紀夫内閣時には中期目標達成タスクフォース委員、および行政刷新会議の事業仕分け人に指名された。また、環境省中長期ロードマップ委員、規制改革会議グリーンイノベーション分科会委員、環境未来都市委員などを歴任。
2011年(平成23年)3月11日の東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)後はエネルギー戦略・原子力戦略として自然エネルギーの活用を主張(飯田は一連の方策を「戦略的エネルギーシフト」と命名)し、同年10月より野田内閣のもとで総合資源エネルギー調査会基本問題委員会委員、内閣官房原子力事故再発防止顧問会議委員に就任[5]。
引用元 wikipediaー飯田哲也
あの悪夢の民主党政権、それも鳩山政権の政府委員を5つ以上も歴任されたのだ。それも悪名高い、事業仕分け人をつとめていらっしゃったのだ。
おまけに野田内閣のもとでも政府委員をつとめ、大変ご活躍だった。しかし、飯田氏はその大恩ある野田首相を裏切って、その政敵の小沢一郎と手を取り合って、政界進出をも目論んだのである。
11月27日には嘉田由紀子滋賀県知事が「卒原発」を旗印に結成を表明した「日本未来の党」の代表代行に就任する。
現役の滋賀県知事であり、現実には都心での国会活動ができない嘉田代表に代わり、国会において日本版「オリーブの木」構想を実現させる可能性に賭けて、自らの国政進出を表明する。[16]しかし、知事選落選後、間もないうちに、新政党を立ち上げ、国政へ出馬しなければならない状況になったことで、一部の支持者の間に「なぜ国政に挑戦するのか」「小沢(一郎)氏と組んだのはなぜか」などと不信感が広まる結果となった[17]。11月29日に日本未来の党の副代表に降格した後、12月1日、再度代表代行に就任[18]。
2012年12月3日、第46回衆議院議員総選挙に山口県第1区から同党公認候補として立候補したが[19]、対抗馬の高村正彦に10万票近い差をつけられ、重複立候補していた比例中国ブロックでの復活もかなわず落選した[17]。得票率は17.6%だった[20]。
引用元 wikipediaー飯田哲也
言うまでもないが、飯田氏は山口県周南市出身である。彼が未来の党から出馬した、山口県第一区は、周南市を含む。
しかし、飯田氏の得票率は、たったの17.6%だった。相手が強すぎたという見解もあるだろうが、アノ希望の党から出馬した、同じく周南市出身の候補よりも票数・得票率ともに敗北しており、地元での人望のなさがうかがえる。
このように、あの「鉛筆持ったら未来の党」などと国民をバカにして、大爆死した政党の大幹部であり、悪夢の民主党政権の御用学者として大活躍したのが飯田哲也氏なのである。
このような人物が、安倍総理を、しかも、この国難時に世界最小レベルの死者数に抑え込んでいるにもかかわらず、罵倒する資格などない。