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静岡県の川勝平太知事「日本は朝鮮に武力で侵攻し、そこで出会った朝鮮の文化に兜を脱ぎました」と日韓両国に失礼な珍説を駐日韓国大使に大披露!!超時空要塞マクロスの見過ぎですか?

今や我国随一の媚中政治家である静岡県知事の川勝平太氏。

その彼は、韓国大使に対しても恐るべき媚び諂いを実行していたことが分かった。あろうことか、駐日韓国大使に対し、「日本は朝鮮に武力で侵攻し、そこで出会った朝鮮の文化に兜を脱ぎました」だのと恐るべき珍説を2017年9月に開陳していたのだ。

静岡県の川勝平太知事「日本は朝鮮に武力で侵攻し、そこで出会った朝鮮の文化に兜を脱ぎました」と日韓両国に失礼な珍説を駐日韓国大使に大披露!!

2017年9月23日、川勝平太知事は、韓国の駐日大使である李洙勲氏をわざわざ訪問した際の対談が毎日新聞で公開された。なお、この李大使の就任は10月であったから、正式就任前に一番乗りを競うかのように押し掛けたことになる。

なお、この李大使は、文在寅大統領の外交ブレーンとしても有名であり、現在は帰国している。

さて川勝知事の珍説を見てみよう。

川勝知事 日本は、朝鮮に武力で侵攻し、そこで出合った朝鮮の文化に兜(かぶと)を脱ぎました。

日本に朱子学をもたらしたのは捕虜の姜沆です。朝鮮の偉大な朱子学者・李退渓の弟子筋です。彼は藤原惺窩に朱子学を教え、惺窩の弟子の林羅山が家康の学問と外交の顧問になりました。

朝鮮通信使は外交使節ですが、文化使節でもありました。通信使の関連資料333点のうち48点の文化資料が静岡県の清見寺にあります。使節の書や漢詩で、きわめてレベルが高い。

引用元 https://www.pref.shizuoka.jp/kikaku/ki-110/fujinokuni/documents/fuji31_02taidan.pdf

恐るべき珍説だ。日本軍は朝鮮に武力侵攻したが、朝鮮の偉大な文化の力に兜を脱いだというのだ。異星人を中華料理屋の娘の歌で屈服させる超時空要塞マクロスでも見すぎたのか?

これは日韓双方に失礼な話だ。秀吉が派遣した朝鮮征伐軍は、李氏朝鮮軍を圧倒し、鴨緑江まで破竹の勢いで侵攻し、加藤清正に至っては、満州にまで侵攻した。

その間、李氏朝鮮軍はぼろ雑巾に敗走し、国王が首都を開戦21日目に放棄し、民衆を見捨てて逃亡した。素晴らしい文化の国があったものだ。

大爆笑!李氏朝鮮の文化の力とやらの実態!日本軍を追い詰めたのは貴族ではなく、民衆の抵抗運動ですよ、川勝知事!

ちなみに、この首都放棄もさんさんたる有様であった。民衆が略奪暴行を始めたのである。

朝鮮乱民は、まず囚人や奴婢の身分記録を保存していた掌隷院と刑曹に放火して、次に内帑庫(王室財産保管庫)を金品財宝を奪った。さらに国王の住居である景福宮が荒らされて、掠奪と放火で昌慶宮と昌徳宮の2つの別宮も焼失した。大倉庫も燃やされた。弘文館、春秋館の古典や歴史記録、承文院の外交文書も灰となった。王室の畜舎にいた家畜を盗んで逃亡した家臣もいた。 この事実を知った宣祖はこれを残している。

「倭奴幾ばくも無し、半ば叛民、極めて寒心すべし」 –鶴峯集

漢城府から逃げ出す際自らの王にも関わらず石を投げる者もおり、宣祖の一行は進む先の村々で住民と出会ったが、住民たちは王が民を見捨てて逃げることを悲しみ、王を迎える礼法を守らなかった。

引用元 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E7%A6%84%E3%83%BB%E6%85%B6%E9%95%B7%E3%81%AE%E5%BD%B9#%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E4%B9%B1%E6%B0%91

その後、李氏朝鮮の支配層は、明朝の応援を頼んだが、日本軍はこれも連戦撃破した。

このように川勝知事が叫ぶ、文化の担い手であったはずの李氏朝鮮の王族と貴族は一瞬で壊滅したのである。では、なぜ、日本軍が敗北したかといえば、朝鮮の人民や非エリート層によるゲリラ「義兵」によって、補給が壊滅したからである。

李舜臣による制海権の獲得も大きいが、彼も科挙に10年以上浪人し、その後も左遷を繰り返すなど、とてもエリートではない。

必死の民衆の武力抵抗により、朝鮮の命脈は保たれたのである。世襲貴族の腐敗した文化の力によってではない。

日本軍は、文化の力に兜を脱いだのではない。川勝知事のような世襲エリート貴族層が見捨てた民衆の力によって戦線が膠着し、秀吉の死によって朝鮮半島から撤退したのである。

だいたい、姜沆と藤原惺窩の交流で、文化に兜を脱いだとは意味不明だ。その論でいけば、新渡戸稲造の武士道に感激したセオドア・ルーズベルト大統領の事例は、米国は日本に兜を脱いだのか?

シーボルトが日本文化に感激したが、それでプロイセンは日本に兜を脱いだのか?

しかも、藤原惺窩は、姜沆に対し、「実に残念です。私が、大唐に生まれることができず、また、生を朝鮮に得ることができないで、日本のこのような時代に生まれ合わせたとは!」「明と朝鮮の連合軍で日本を占領して欲しい」などと願い出た売国奴だ。

林羅山にしても、その思想は神道とのちゃんぽんであり、荻生徂徠らによって、大きく日本式儒学が作り替えられており、朝鮮の影響はほとんど消えている。

また、一部の陶工を連行したことを言うならば、モンゴル帝国は南宋に、ソ連は大日本帝国に、北朝鮮は日本の文化に屈したのか?そんなわけはないが、こんな日韓双方を侮辱する珍説を平気で主張するのが川勝知事なのだ。

静岡県民は、本気でこういう知事が現職でよいのか考え直すべきだ。日韓両国の歴史と市民を侮辱している。

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