東京都医師会会長・尾崎治夫氏。元極左活動家とされる弟に対して苦しい弁明。政府批判に明け暮れるのではなく、専門的知見を披露してください。
専門家として番組に呼ばれる東京都医師会の会長尾崎治夫氏。新型コロナウイルスに対しての専門的な知見を披露し、啓発すると思いきや、そんなことはなかった。まるで活動家のような、歯切れの良い政府批判が、メディアに大うけし、露出を増やしている。
そんな歯切れの良い尾崎氏が、奥歯に物が挟まったような物言いをしていることがある。それが「兄」についてだ。
兄が過激派だった過去を週刊新潮が報じる!!!
メディア露出が増えてきた東京都医師会の会長、尾崎氏。そんな尾崎氏に、兄がおり、その兄があさま山荘事件につながる元過激派だったというのだ。
1971年、尾崎氏の兄は、新聞の一面を飾った大事件を起こした。その事件が真岡銃砲店襲撃事件だ。
その兄が、週刊新潮の取材に次のように応じた。
(略)
京浜安保共闘では戦友たちと活動し、毛沢東の著書を読み漁った。マルクスなど他の本は処分したけど、毛沢東だけは今も蔵にあります。当時は毛沢東の“権力は銃口から生まれる”との言葉の通り、武装は必要だと考えていた。教条主義的でした」
(略)
引用元 コロナで脚光「東京都医師会」会長に元「過激派」の兄
どこかの静岡県知事の川勝平太氏のように毛沢東の書籍を愛読していたというのである。
尾崎氏の兄は、語る前に「弟は弟、私は私、結び付けられるのは困る」と話した。これはその通りだ。兄弟とはいえ、別人格。中世の裁判のように結び付ける必要性はない。
しかし、尾崎氏は、兄に週刊誌の取材が来ていることを知ると、先に自らが情報発信の場として、頻繁に利用しているフェイスブックで、兄の事について語った。
しかし、それは突っ込みどころ満載だった。
いつもの歯切れの良さは何処へ??
尾崎氏として、週刊誌報道を前に、先手を打ったつもりなのだろう。しかし、メディアの前で繰り広げる舌鋒の鋭さは消え去っていた。
これが、尾崎氏が、自身のフェイスブックで語ったものだ。
少し長い文になりますが、読んでください
私は3人兄弟です。皆桐朋学園を卒業しました。兄は私と同じバスケットボール部に所属、私よりずっと頭も良く、運動神経も優れ理想とする兄でした。卒業後は横浜国立大学に進学、思うところがあったと思いますが、当時盛んだった新左翼運動に加わり最後は連合赤軍の一員となり活動しました。ある事件で、警察に逮捕されましたが、服役し模範囚として世の中に復帰しました。今から50年前の出来事です。
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右寄りの安部さんが気に入らず、今の私の言動があるという単純な構図に持ち込み面白おかしく世間を騒がす意図を感じました。何より真面目に静かに生きてきた兄にも失礼です。
(略)
引用元 https://www.facebook.com/haruo.ozaki/posts/3201036276682963
確かに、尾崎氏の兄は、刑期も終え、静かに暮らしてのかもしれない。しかし、週刊新潮の記事には次のような一文がある。
真岡の事件で奪われた銃と銃弾は、合流前の赤軍派による金融機関強盗「M作戦」や、連合赤軍のあさま山荘事件で使われた。
週刊新潮が指摘することが事実であるならば、尾崎氏の兄は、静かに生きてきたとのことだが、あさま山荘事件で、尾崎氏の兄が直接関わってないにしろ、間接的に関わった結果、命を落とした警察官2名、民間人1名はどうなるのか。
また、尾崎会長の兄は、遺族のところに謝罪に出向いたのか?賠償したのか?
生きることができなかった人達を前にしても、尾崎会長は同じことを言うのか。負傷した警察官26名、民間人1名に対しても同じことを言うのか。
尾崎氏は、東京都医師会長でありながら、自身のクリニックでも患者と向き合っている。つまり、日ごろから、人の命と向き合っている人間が、兄を思うばかりに、兄が間接的に関わった事件で命を落とした人達を、あまりにも無碍に扱っているように思えてならない。
尾崎氏の兄は、「弟は弟、私は私、結び付けられるのは困る」と語り、弟である尾崎氏への影響を危惧していたが、尾崎氏の兄の過去の行動というより、尾崎氏自身の発言があまりにもひどい結果、尾崎氏自身の評価を下げることになってしまった。
尾崎氏は兄の事には言及したが、自身の過去には言及しなかった。兄が行っていたことに、本当に尾崎氏本人は、関わりが全くなかったのだろうか?兄と弟はそれぞれ別と言うことであれば、自身の学生時代の過去についてもきちんと説明されるべきである。