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石破茂さんが嫌われるのは、建前論と「必要ならば」を連発し、解決策は「もっと考えるべき」「議論すべき」「勉強すべき」ばかりで具体策を一切提示しないから!一方、安倍総理は即断即決し、間違えることを恐れなかった!

一時期、東大話法やら信号機話法という似非科学が左翼の皆さんの間で流行した。それらはまったくの主観に基づくものだが、「石破構文」の存在をご紹介したい。

いわゆる「小泉進次郎構文」に匹敵する中身のなさだが、石破構文は説教しているくせに、中身がないから悪質だ。

石破茂さんが嫌われるのは、建前論と「必要ならば」を連発し、解決策は「もっと考えるべき」「議論すべき」「勉強すべき」ばかりで具体策を一切提示しないから!

石破さんの発言は、だいたい以下の三段論法の構造だ。

(1) 今、あなたはそう言われたが、そもそも大本の●●政策とは何であるのか、まず、ここをきちんと議論するところから始めなければならいのであって、それなしでその先の議論などできようがない。
(2) では、その●●政策とは何であるのか。そもそもそれは●●(延々と一般論を展開)である。私は今それが1番必要なことだと思っています。ですから●●であろうがなかろうが、理解を得る努力を私はこれからもしなければいけないと思っています。
(3) そのためには、もっと検討しなければなりません。軽々に論じることはできないのであって、だからもっと勉強しなければならないのであります。必要ならばさらなる議論が必要だと思っています。

石破構文の典型。いつも検討したい、思います、ばかりで具体的にどうするかをけむに巻いてしまう。

要するに、まず、質問者やライバルの主張を見下し、大きな話題を考えるべきと相対化する。TPPであれば、そもそも貿易政策全体が大事だ。敵地攻撃論であれば、全体の戦略が大事だなどと、そもそも論への誘導を開始する。

そして、長々とその大きな話題のわかりきった内容をくどくど説明し、接続詞を延々と重ねて牛のよだれのように長文をだらだら展開し、そのことに関する国民の理解やら納得や共感が大事だと主張する。

そして、最後に、「もっと検討しなければならない」「もっと議論しなければならない」「もっと勉強しなければならない」などともっともらしいことを言って、ちゃんと感を出し、具体策をほとんど出さずに終わる。目の前に対処すべき課題があるのに、のんびりディスカッションすべき!答えは言わないけど!が石破構文だと感じられてならない。

ほとんど具体策皆無なのだ。結局ケムに巻いているだけなのだ。

もちろん、石破さんが具体策に触れる時もある。しかし、その際は「必要ならば」だとか「と思います」が追加されるのだ。9月8日のテレビ朝日「報道ステーション」でも石破さんは、森友学園問題の再調査は必要か、との質問に対し、「必要ならばやるべきだと思います」と述べた。

意味不明だ。必要かどうかは、あなたが、石破さん自身が決めることだ。いったい、総理が判断せずに、誰が決めるというのか。しかも、「思います」だ。この言葉は鳩山首相も大好きだったが、思うかどうかではなく、大事なのはやるかやらないかだ。

「それが政治の義務です!」とは言わないのが石破構文。

石破さん、今、飢えた国民は百の議論よりも一杯の粥を欲しがっているのですよ!!そして、安倍総理は即断即決し、間違えることを恐れず、多くの国民を救ってきた!

石破さんは、昔はこんなにひどくはなかった。15年ぐらい前はもっと明確に具体策を主張していた。しかし、今や単なる評論家になってしまった。

「強化すべき」と断言しないのが石破構文である。

しかし、石破さんのような人間を総理どころか大臣などの要職にするのは危険でしかない。

たとえ話をしよう。今、安倍総理と石破さんのそれぞれの目の前に10人の飢えた村人がいる。お粥をくれ!と叫んでいる、とご想像いただきたい。

安倍総理は、今すぐお粥を食べさせよう!と必死にお粥を作り配った。それによって多くの国民が助かったが、1人だけ食べ過ぎや既に手遅れでなくなってしまった。しかし、9人の国民が助かったのである。

これは東日本大震災時、とりあえず世耕議員と運転手の3人で支援物資をもっていち早く駆け付けたことからも明らかであろう。

一方、石破さんは、「そもそもおかゆを食べさせる前に、健康とは何かを考えるべきだ。急にお粥を食べさせたら死んでしまうかもしれない。もっと人体を知らねば議論できるものではない。糖尿病患者もいるかもしれない。まずは家庭の医学を読まねばならないと、必要であるならばやるべきだと思います」と延々と自説を述べ始めた。

石破さんの方の村人10人は、石破さんが延々とそもそも論を展開し、読書している間に全員が死んでしまった。これは、あれだけ先の総裁選で熊本との縁を強調していたのに、先日の水害からしばらくは言及せず、安倍総理のように駆け付けたという話を聞かないことが示唆している。

要するに石破さんは政治家でもリーダーでもない。ひたすらディベートに勝つためのテクニックを磨き続けただけの、絶えず発言に留保条件を付けて決断できない哀れな老人がそこにいるだけなのだ。

国民が求めているのは、そして、指導者に必要なのは、間違えることを恐れず、結果を恐れず、決断することだ。確かに安倍総理には間違いもあったが、即座にそれを補い、そして、その素早く適切な決断によって、多くの国民を救ってきた。

いみじくも安倍総理は「責任」という言葉を好む。まさに決断する責任、結果に対する責任から逃げず、普通の政治家なら発狂するプレッシャーで、アベノミクスや平和安全法制、ウーマノミクスと決断を下してきたのが安倍総理だ。

目の前に国民がいれば10死0生になりかねない石破氏が、1死9生で多くの国民を救い続けてきた安倍総理にかなわなかった所以である。そして、今、多くの国民が安倍総理とその後継である菅官房長官に多大なる支持を寄せる理由でもある。

安倍総理は、これほどまでに決断力と責任から逃げなかったからこそ、今や史上最高の総理となりつつあるのだ。こうした総理を持てたこと、石破氏が総裁選で連戦連敗であることは、この時代の幸福であろう。

石破さんは、今からでも遅くはないから石破構文をやめるべきだ。そうすれば、せめて閣僚ぐらいは務まるかもしれない。

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