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大ブーメラン!枝野代表「政治家が自助と言うな!菅長官は責任放棄だ!」 → 枝野代表と複数の立民議員が過去に「自助が大事!」「自助と共助だけで解決できるべき!」と連発し、法律まで作っていた!!記憶喪失ですか?

またもや大ブーメランで枝野代表の肩が心配だ。

9月9日、立憲民主党の枝野代表は、菅官房長官のキャッチコピーである「自助・共助・公助」を取り上げ、「政治家が「自助」を発言するとは何事か!無責任だ!」とかみついて見せた。

しかし、実は、枝野代表をはじめ、立憲民主党のお歴々は過去に「自助が大事!」「自助と共助だけで解決できるべき!」と連発し、法律まで作っていたのである。

まともな記憶力もなく、まともに批判すらできない無能集団であり、国民の頑張りを否定する貴族である立憲民主党の実態をご紹介しよう。まあ結局旧民主党のメンバーであるから当たり前なのだが。

枝野代表「政治家が自助と言うな!菅長官は責任放棄だ!」 → 枝野代表は過去に「自助が大事!」「自助と共助だけで解決できるべき!」と連発し、法律まで作っていた!!

9月9日、枝野氏は、合流新党代表選の討論会に参加し、自民党総裁選に出馬した菅官房長官が「自助・共助・公助」を訴えていることを批判した。

枝野代表は、「政治家が自助と言ってはいけない。責任放棄だ。」「自助や共助ではどうにもならない時が人生にはある。政治の役割は公助だ。私たちとは明確に政治姿勢が違う」などと語った。

しかし、枝野代表は過去に自助の重要性を国会で連発していたのである。まさに自分で自分を無責任な政治家だと認めたに等しい。以下、いくつかご紹介しよう。

○枝野議員 民主党の枝野でございます。

今、福島先生のお話を伺っていて、あれっと思ったんですが、生活保護のかわりを年金にさせるのではないか、私はそれでいいんではないか。つまり、生活保護という仕組みは、本来は、なければない方が望ましい制度なんだ。まさに自助、共助、公助であって、本来は、各個人が自分の責任と自分の努力で生きていければ一番いいんだけれども、ところが、人間社会というのは必ずしもそうはできない。

(中略)

できるならば自助と共助の世界の中で、生活保護という仕組みを受ける人がいなくなる社会が我々の目指すべき社会なのではないか、私はそういうふうに思っています。

(中略)

そして、私はこういう仕組みをつくることによってこそ、例えば自助努力とかということが働くのではないか。つまり、老後の生活が生活保護であった場合には、例えば五十を過ぎ六十近くなり、ちょっとでも自分の努力で資産を蓄えておこうとか、あるいは自助努力による私的な生活維持のための保険に入ろうとかいうことは、そういうものがあれば生活保護は受けられなくなるし、そういうものがあれば生活保護がマイナスになっていくということで、(中略)後はどうせ生活保護なんだからちょっとぐらい努力してもしようがないやというインセンティブが残念ながら今の制度では働いてしまいます。

しかし、ミーンズテストは行わずに、きちっと、例えば一生の間無収入であった人でも権利としてこういう年金が受け取れるんだ、そういう中であれば、ほんのちょっとでも努力をして老後をより安定させるために頑張ろうという自助努力が、まさにミーンズテストなどがないからこそ私は働くのではないか。自助を促すという観点からも、できるだけ生活保護という部分を小さくしていくことの可能な制度を組み立てていく。

引用元 第162回国会 年金制度をはじめとする社会保障制度改革に関する両院合同会議 第8号 平成17年7月29日

いやはや、すごい発言だ。

当時の枝野代表は、自助共助だけで成り立つ世界が素晴らしく、公助である生活保護は本来不要であり、自分で老後のために資産形成するのが素晴らしいと述べていたのである。自助努力の協調も何度もしている。

他にも過去の国会で枝野代表は、「本当に民間会社だったら、自分たちの自助努力で人件費を稼ぐのが民間会社だというふうに思います。(平成19年5月9日)」「明確な我が党としての方針をお示しさせていただきますが、では、どの程度の部分を、自助、共助ではなくて公助の部分として税で補うのか(平成23年2月2日)」「しっかりと各関係者の皆さんの自助努力を強く促す必要はあるということは繰り返し申し上げているとおりでございます。(平成24年3月29日)」などと、自助を大変強調する発言を連発している。

しかも、枝野代表が経産大臣であった野田政権の時に成立した社会保障制度改革推進法では、「自助、共助及び公助が最も適切に組み合わされるよう留意」という方針を明記していた。(参考

このように、枝野代表は明らかに自助を強調していたのに、矛盾する発言を昨日になって繰り返して、他人を批判しているのである。記憶力と羞恥心はいったいどこへいったのか?

そして本当に愚かなのが、菅官房長官の言葉を使って、「やっと私の提案に追いついていただけましたか?」程度のことを言えれば、逆に攻めようがあるものが、本当に愚かでどうしようもない政治家だ。

複数の立民議員が過去に「自助が大事!」「自助を共助と公助で支える」と連発!!

他にも、立憲民主党代表代行の長妻昭氏は、「公助扶助で【自助】かを支える」と自らのHPに書いている。(参考

立憲民主党の難波奨二参議院議員は、「自助、共助、公助、あるいは減災といった形、(中略)そういう基本的な考え方というものを国民の皆さんに広くやっぱり共有していただく方策というものを是非検討していただきたい(平成25年5月31日)」と発言している。

また、同じく立憲民主党所属の那谷屋正義参議院議員も「災害に対して自助、共助、公助、こうしたものがうまくミックスして初めて命とそれから財産が守られるとよく話があるわけでありますけれども、その自助ということでいえば、(中略)まだまだこれは日本全国に波及しているわけではなく、(中略)こうした中で防災教育の具体的な方法についてもし御示唆いただければ(平成25年11月20日)」と発言している。

合流新党に参加する野田元首相も「社会保障を考えるときに、基本はやはり自助があると思うんです。それをいかに共助、公助がうまく関係づけをする中でサポートしていくかということが大事だと思います(平成24年5月23日)」などと首相在任時に述べている。


このように自助を枝野代表以下の皆さんは連発していたくせに、今そのことをなかったことにして噛みついているのだ。

これは枝野代表らがまっとうな記憶力も、まっとうな羞恥心もないことを意味している。そして論戦や喧嘩の仕方も知らないのだ。

そもそも自助とは民主主義の基本である。福沢諭吉は「天は自ら助くる者を助く」「一身独立して一国独立す」としているように、まずは自分で頑張り、そして、友人や社会で助け合うのが、民主主義の基本だ。

公助を前面に押し出すのは、共産主義やナチスのような国家社会主義である。要するに、枝野代表は、ナチスや共産主義に転向したファシストだということだ。こういう危険思想の集団が野党第一党であることは悲しむべきことだ。

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