窪田順生氏「日本学術会議は、欧米諸国の「アカデミー」とは似て非なるもの!むしろ中国科学院と同じ!」と正論を展開!!そしてすべては菅総理の深謀遠慮だったと指摘!!
10月8日、ノンフィクションライターとして著名な窪田順生氏が、今回の学術会議を巡る騒動を一刀両断している。
昨日もご紹介したが、今回紹介するのは、窪田氏がそもそも日本学術会議は欧米のアカデミーとは似て非なるものであり、むしろ学問の自由が0の中国科学院にそっくりだと指摘する。
しかも、窪田氏は、すべてが菅総理の深謀遠慮ではないか?と主張するのだ。
窪田順生氏「日本学術会議は、欧米諸国の「アカデミー」とは似て非なるもの!むしろ中国科学院と同じ!」と正論を展開!!
窪田氏は、まず任命拒否された6人の学者らが主張する、「日本学術会議は欧米のアカデミーに相当するものであり、だから政治は口を出すな」という論理を痛々しい勘違いと指摘する。
任命拒否された6人の中のある学者センセイが、某情報番組にリモート出演された際に、出演者から学術会議の存在意義を訊ねられて、しきりに「学術会議はアカデミーなんです。アカデミーがない国でいいんですか」というようなことを、主張されていた。
ただ、これも無理筋の主張だと言わざるを得ない。立派なセンセイのおっしゃることにイチャモンをつけているようで大変心苦しいが、日本学術会議は厳密に言えば、諸外国の「アカデミー」とは似て非なるものなのだ。
(中略)
全米科学アカデミーは法的地位として非営利組織なので「独立」、英国王立協会(ロイヤルソサエティ)は自治組織として登録されている慈善団体なので「独立」、フランス科学アカデミーも独立機関なので「独立」、ドイツ科学アカデミーレオポルディーナも非営利組織なので「独立」、カナダロイヤルソサエティーも同じだ。
では、我らが日本のアカデミーにはどんな記載がなされているのか。法的地位としては「政府機関」という位置づけなので、「政府機関への帰属」についても「特別の機関」というよくわからない表現がなされている。
そう我国の学術会議は政府の一機関でしかなく、最初から独立していなかったのである。とんだ「学問の自由」があったものだ。
そして、日本学術会議は予算面でさらに恥ずべき実態が明かされるのであった。全額が我々の血税で運営され、民間からは一円ももらっていないという情けない実態だったのである。
その特別ぶりがよくわかるのが、「年間予算」という欄である。各国のアカデミーが政府との契約や助成金の他に、民間からの寄付や学者たちの払う会費で成り立っており、「独立性を確保するため、さまざまな財源がある模様」という記載があるのに対して、日本学術会議は「全額国庫負担」で民間資金も「0」と記載されている。
つまり、日本学術会議の会員の皆さんは、「我々はアカデミーだぞ。アカデミーにたてつくとは何事か」とやたらと胸を張るが、残念ながら現実としては、法的にも政府との関係的にも、そして独立性を担保するための財源的にしても、とても「アカデミー」と呼べるような代物ではないということなのだ。
恥ずかしい実態だ。では、このような学術会議にそっくりなアカデミーはあるのかと思えば、中国の中国科学院だ。
そこで、「じゃあ、日本学術会議というのは一体何なのだ」という疑問が出てくるだろう。実はこの比較データで見ると、日本学術会議と同じく「政府機関」であり、100%国家予算で運営され、民間資金が「0」と明記されている団体がある。それは、チャイニーズアカデミーオブソサエティ、そう「中国科学院」だ。
言うまでもないが、中国科学院に学問の自由はない。国家の為ですらなく、中国共産党の独裁政治のために奉仕する機関だ。
そんな団体とそっくりなのが学術会議であり、これこそ学者ならば恥ずべき状態だ。
窪田順生氏、学者の傲慢を指摘し、そしてすべては菅総理の深謀遠慮だったと指摘!!
そして、窪田氏は学者の傲慢を指摘する。
先日、ある情報番組を見ていたら、今回任命されなかったという学者センセイがリモートでご出演されていて、今回の騒動で一部から出ている学術会議への批判に対して、やはり思うところがあるのか、いろいろぶちまけていた。
曰く、10億円の税金が投入されているが、会員数で割ると1人50万円程度しかなく、新幹線代も出ないくらいなので、もっと出せと事務局に文句を言った。曰く、10億円の税金が高いというが、これで日本の学問が救われるのだから安いものだ――。
この発言は、拒否された松宮教授の発言である。まったく勘違いも甚だしい。
今、どれだけの国民が中国初のコロナ禍による経済的苦境に苦しんでいるのか。にもかかわらず松宮教授は、大学から高収入を得ながら、このように文句を言う。傲慢そのものだ。
そして、窪田氏は今回の騒動は全て、菅総理の深謀遠慮だった可能性に言及する。
つまり、実はこれも行政改革の一環で、「日本学術会議という組織の異常さと、そこに居座り続ける学者センセイたちの、国民とあまりにもかけ離れた特権意識」を浮かび上がらせるために、わざと物議を醸すような強引な手法をとっていたとしたら――。
もしそうだとしたら、「ガースー、恐るべし」ではないか。
これこそ菅総理が庶民の味方であり、特権階級を打破する政治を志している証拠であろう。その意味で、菅総理は、まさに安倍総理の後継にふさわしい存在そのものなのである。