珍説!日本大学・広田照幸教授、日本学術会議を守りたいが故に、最高裁長官の任命、最高裁判事の任命のことを持ち出す!日本学術会議はそれらと肩を並べる存在とは誰も思っていませんよ!!
日本学術会議を擁護し、政府を批判する人達の言葉を聞いていると、あまりにも珍説が目立つ。日本学術会議への就職に失敗した松宮教授、そして岡田教授は惜しげもなく、珍説を披露している。
野党も、野党で、新型コロナウイルスの問題を放置し、日本学術会議の会員任命拒否に執着している。
野党は、国民の生活よりも、日本学術会議の方が大事なようだ。
そして日本学術会議の会員任命拒否をめぐって、新たな珍説を唱える学者がまた現れた。それが日本大学教授の広田照幸教授だ。
広田教授は、日本学術会議の会員を総理が任命する仕組みを、総理大臣の任命、最高裁長官の任命、最高裁判事の任命と同等に捉えているのだ。憲法に明記された機関のトップの任命と同様に考えているようだ。
更に、任命拒否の背景には、学者らが行った政権批判があると、まるで野党、そして左派のような思考をしているのだ。日本学術会議のことなど憲法のどこにも書いていない。こんな人物が学者であり、教壇に立っているとは恐ろしい限りだ。
広田教授は、日本学術会議を崇高なものとお考え??憲法に明記されている機関と同等??
日本大学教授の広田照幸氏は、教育社会学者で、専門は教育社会学に加え、教育史、社会史だ。更に、専門分野の学会の理事を務めるなど、その分野では重鎮だ。その重鎮さ故か、日本学術会議の連携会員を務めている。
そんな学者として一流と思える経歴をお持ちの広田教授だが、日本学術会議の会員任命拒否に関しては、門外漢なのか、珍説を繰り出した。
今回の政府の「解釈」は、あらゆる「任命」の話に拡大してしまいかねない。アカデミズムの世界で言えば、国立大学の学長や大学共同利用機関の機構長の人事などです。日本学術会議法が学術会議の推薦に基づいて首相が会員を任命すると定めているのと同じように、国立大学法人法は国立大学法人の申し出に基づいて文部科学大臣が学長を任命すると定めています。ことは学問の世界にとどまりません。例えば最高裁長官は内閣の指名に基づく天皇の任命ですし、最高裁判事は内閣の任命です。高裁長官や判事などは最高裁が提出する名簿により内閣が任命しています。今回の事件は、そうした諸制度を脅かすことになります。
広田教授に言わせると、日本学術会議の会員任命は、最高裁長官や最高裁判事の任命と同様のようだ。憲法のどこにも日本学術会議のことなど書いていないのだが。
憲法によって定められている機関の任命と、法律によって設置された機関の任命が、同列なわけがない。自身が連携会員として関係している日本学術会議を守りたいのはわかるが、あまりにもレベルが低すぎる。
仮に、本心で、広田教授が日本学術会議の会員任命のことを、上記のように思っているならば、それは単なる傲慢だ。国民の誰一人としてそのようには思っていないし、最高裁判事に匹敵するならば、国民投票による拒否権が必要だ。
国民投票がないならば、国民の代表である総理大臣が拒否権を発動するのは何ら問題がないことになるではないか!
更に、広田教授の勘違いは続く。
広田教授は、任命拒否は政府批判が原因と思っている??
広田教授は、野党、そして左派の自称知識人と同様の考えをお持ちのようだ。自身にとって都合の良い情報しか見ない姿勢には、議論の余地はなさそうだ。
広田教授は、次のように日本学術会議の役割を語った。
首相のブレーンを務める特定の学者や、個別の政策のためにつくられる内閣や各省庁の審議会や有識者会議と、様々な学問領域をほぼ網羅している日本学術会議とでは、目的や使命が違い、位置づけもまったく違います。学術会議は、政権に批判的な人を含めて議論をすることができるからこそ意味があるのです。
広田教授は、日本学術会議の役割の1つとして、「政権に批判的な人を含めて議論をすることができるからこそ意味があるのです。」と語っていることから、裏を返せば、任命拒否の原因が、政府批判と思っている節がある。
しかし、だ。日本学術会議の会員に任命されなかった人のみが注目を集めているが、会員に任命された学者を見てみると、政府に対して批判的な人物もしっかりと会員になっているのだ。(参考)
学者が、野党と同様に、客観的ではなく、見たいものしか見ずに言葉を発するその姿勢には驚きを通り越して、呆れるしかない。
広田教授、もう少し調べてから、情報を発信しましょう。