なんでも直ぐに飛びつき噛みつく枝野代表。バッハ会長の真意の確認をしましたか???批判する前に、党としての新型コロナ対策をアピールしたらいかが???
無用の長物、百害あって一理なし、これらの言葉は、今や立憲民主党の言動の代名詞だ。
そして総選挙が近いというのに、枝野代表の行動は相変わらずだ。確認する術もないのだろうが、真意も確認せず、バッハ会長の言葉について噛みついた。
なんで我国の一部のメディアも特定の野党もいつも一次情報の取材や確認をせずに反応するのか本当に理解に苦しむ。大人としての基本的なマナーもないのか???
気に食わないことがあれば、迷わず噛みつく枝野代表。そこには野党第一党の党首としての自覚は微塵もないのであろう。
噛みついた枝野代表。枝野代表の発言をみると、枝野代表が妄想に取りつかれていることがよくわかる。
枝野代表、我国を混乱に陥れる前に立憲民主党を解党していただきたい。
通常運転の枝野代表、その噛みつき方から見える被害妄想!!
存在感を出すためにはなりふり構わないのが、立憲民主党と枝野代表だ。またしても枝野代表が噛みついた。今回の相手は国際オリンピック委員会のバッハ会長だ。
バッハ会長の発言について、枝野代表は次のように噛みついた。
立憲民主党の枝野幸男代表は23日、党富山県連大会にオンライン参加し、新型コロナウイルス禍での開催に異論が強まっている東京五輪に関し、予定通りの7月実施に疑問を呈した。「命を犠牲にしてまで五輪に協力する義務は誰にもない。命を犠牲にしてでも協力しろなどと迫る権限は誰にもない」と述べた。
国際オリンピック委員会(IOC)のバッハ会長が3月に発表した声明で、コロナ禍では「誰もが犠牲を払わないといけない」と指摘したのを踏まえた。枝野氏は「国民の命を最優先にできなければ延期か、中止せざるを得ない」と強調した。
枝野代表は、東京五輪の開催と命がトレードオフの関係にあると思っているようだ。もちろん、東京五輪の開催が命を失うことに直結することはない。
枝野代表は、バッハ会長の発言を踏まえて発言したようだが、理解のし方が明らかに間違っている。
バッハ会長は、コロナ禍では「誰もが犠牲を払わないといけない」と発言したわけで、何も命の犠牲を払えとは一言たりとも言っていない。
バッハ会長の発言の真意は??
目に付くものには、即座に噛みつく枝野代表。しかし、バッハ会長の発言のどこをどのように捉えれば、「命の犠牲」を払えと言っているのか皆目見当がつかない。
バッハ会長は一般論を述べているに過ぎないのだ。
冷静に考えてもらいたい。五輪精神には平和が掲げられている。五輪精神に真向から逆行する発言をバッハ会長がするのか。仮にそのような逆行する発言を行えば、国際オリンピック委員会内で、バッハ会長下ろしが始めるはずだ。
つまりだ。思い返してもらえば誰もがわかることをバッハ会長は述べているのだ。
スポーツに関して言えば、観客数の制限、さらには無観客開催等の「犠牲」を払ってきたのである。
バッハ会長の発言は、そうした実情を踏まえたものであり、「命」など一言も触れていないし、意図もしていないのだ。
枝野代表は、バッハ会長の発言を踏まえて言及したと報じられているが、枝野代表は曲解し、発言を歪曲したのか、勘違いしたのかは不明だが、国民世論を煽りたいだけに思えてしまう。左派メディアが得意とする発言の切り取りを野党第一党の党首がやってのけたのだ。
枝野代表は、幾たびも、国民世論を煽ろうとしてきた。記憶に新しいのが昨秋の「日本学術会議」だ。冷静に考えれば、いち行政機関の任命に過ぎないにも関わらず、憲法の「学問の自由」を持ち出し、国民世論を煽っていた。
今回の発言もその類だ。
これまでの枝野代表の発言は、どれも軽いものばかりだった。枝野代表の今回の発言に倣うなら、今年の秋までに実施される総選挙、まともな新型コロナ対策を打ち出せない立憲民主党に、コロナ禍で命を犠牲にしてまで、議席を与える必要はない。