矛盾!演出家・宮本亞門さん「やりたい気持ちはわかるけど、世界の為に五輪中止を日本が言うべき!!」 → 去年5月の宮本さん「あらゆる感情を支えてくれるのは、やっぱり演劇でありエンターテインメント」
演劇関係者のご都合主義が露出しているとしか思えない。
彼らはさんざん演劇に金を出せだの、大事だの、政治家は芸術を馬鹿にしているだの好きでやっている癖に税金を要求した。しかし、今、演劇関係者は五輪を中止しろなどと矛盾することを言っている。
例えば大演出家の宮本亞門氏は去年5月には「あらゆる感情を支えてくれるのは、やっぱり演劇でありエンターテインメント」などと演劇が重要だの、税金で支援すべきだのと言っていたくせに、今年に入ると「やりたい気持ちはわかるけど、世界の為に五輪中止を日本が言うべき!!」だのと言い出したのだ。
これこそ矛盾だ。
矛盾!演出家・宮本亞門さん「やりたい気持ちはわかるけど、世界の為に五輪中止を日本が言うべき!!」
宮本亞門氏は今年に入り、五輪中止論を盛んに主張している。
例えば3月にはこんなことをテレビで言っている。
コメントを求められた亞門氏は(中略)「僕は日本から中止の意思を表明するべきだと思います」と発言。
その理由を「オリンピックは日本だけのものでなく、世界のものであり、先進国だけでなく、後進国のものでもあります。今の感染状況の世界を冷静に見てて、インド、ブラジルを含めて…。皆さん切り裂かれちゃうんですよ、国民の気持ちが」と説明。「皆さんの本当にやりたい気持ち、分かるけれども、今、誰が(東京五輪開催に)ノーを言うか。やはり日本が勇気を持ってNO!ということを期待したい」とメッセージを発した。
無茶苦茶だ!
後進国等と言う発言も大問題だ。どれだけ偉そうに他国を見下しているのか???このG20の時代に発展途上国と言う概念自体が時代遅れなのに、化石のような差別用語である後進国など言うのだから、信じられない。
主張自体も意味不明だ。
宮本氏は「今の感染状況の世界を冷静に見てて、インド、ブラジルを含めて…。皆さん切り裂かれちゃうんですよ、国民の気持ちが」等とセンチメンタルなことを言うが、全く根拠がない。
ブラジルやインドではなく我国でコロナから全人類の団結を促し、また励ますための五輪がどうして切り裂かれるのか???全く根拠のない珍説であり、もう宮本氏の主張が正しければ、演劇も映画も同じことになる。映画も演劇も即時中止しますか???
そして、何よりもこうした発言は過去の宮本氏の主張とも矛盾しているのである。
去年5月の宮本さん「あらゆる感情を支えてくれるのは、やっぱり演劇でありエンターテインメント」
昨年5月の宮本さんはこんなことを言っていた。
文化・芸術に対して政府からの補償は不十分なことに「絶望的な感じがしました」と不満を口にし、「まるで“不要不急”とは言わなかったけど、不要のような感じがしてしまうくらい」とこぼした。さらに「先進国の中で、これほど文化・芸術にお金を出さないところはないと思っていました。きっと政治家の皆さんは歌も歌ったことはないし、笑ったこともないのかな。そんなはずはないですよ。こういうときにバサッと『そういう人たち』という切り方をするんですよ」と政治家の理解のなさを指摘。「今回の流れに関しては絶望的な感じが正直しましたね。残念ですね」と何度も絶望的という言葉を口にした。
(中略)
「疲れ切っている今だからこそ、『よーし』って頑張ろうという気持ちになったり、あらゆる感情を支えてくれるのは、やっぱり演劇でありエンターテインメントであり、いろんなものなんですね」と宮本氏はエンターテインメントの力を信じ、不安を抱く人たちに寄り添う覚悟だ。「今、この時期に次の生き方が試されている気がするんですよ。そして一番大切な人間性も試されている。だから僕は、絶対ポジティブにいて、いい方向に向かうと信じて突き進んでいきたい」と力を込めた。
まさに矛盾だ。
宮本さんがいかに天才であろうとも彼の芝居が全世界のアスリートが結集する五輪に勝てるはずもない。仮に宮本さんの演劇が五輪に匹敵するとしても、「疲れ切っている今だからこそ、『よーし』って頑張ろうという気持ちになったり、あらゆる感情を支えてくれるのは、やっぱり五輪であり、いろんなものなんですね」と言う理屈は成立する。
そして、宮本さんは「先進国の中で、これほどスポーツや国際交流にお金を出さないところはないと思っていました。きっと演出家の皆さんは運動したこともないし、選手に感動したこともないのかな。そんなはずはないですよ。こういうときにバサッと『勇気をもってNO』という切り方をするんですよ」と反論されたらどうなるのだ???
まさか演劇は良くて、スポーツの五輪はダメなどと言う自己中心的なことを言うのではあるまい???
宮本さんは専門外の五輪について珍説を主張する前に、過去の自分と向き合うべきだ。