珍説!安住国対委員長「(政府は西村長官の)言葉の重みをきちんと踏まえて対応すべきだ」 → 宮内庁長官の“推察発言”に従えと言うなら、違憲帝政党に改名されては??しかも中止になったら陛下に責任が発生しますよ!!
立憲民主党は、立憲でも民主でも政党でもないとしか思えない珍説をまたやってしまった。我国は立憲民主主義国家のはずなのだが。
立憲民主党の安住淳国対委員長が、「(政府は西村長官の)言葉の重みをきちんと踏まえて対応すべきだ」等と言いだしたのだ。
確かに陛下が国民を心配され、懸念を示し、それを宮内庁長官が推察したのは事実であろう。しかし、その推察発言では、あくまでも開催を“無事”にやってほしいと言うものでしかない。少なくとも上皇陛下は五輪を大変楽しみにしており、周囲の方にも以前の東京五輪のことなど含めてよくお話しされているとの話も聞く。
しかも憲法学者が批判するように、この発言に従うことは立憲主義と民主主義と政党政治の否定でしかないのだ。天皇は日本の象徴である。陛下を敬うことと陛下の発言に政治が従うかは別の問題なのだ。くどいが我国は立憲民主主義国家だからである。
もはや立憲民主党は、違憲帝政党や絶対王政党にでも改名すべきだ。本当に民主主義の破壊者でしかない。
珍説!安住国対委員長「(政府は西村長官の)言葉の重みをきちんと踏まえて対応すべきだ」
西村宮内庁長官は、6月24日の定例記者会見で、「国民の間で不安の声があるなかで、ご自身が名誉総裁をおつとめになるオリンピック・パラリンピックの開催が感染拡大につながらないかご懸念されている、ご心配であると拝察をいたします」と話した。
つまり、西村長官はあくまでも天皇陛下が御懸念あそばされている、そう言う風に述べたのである。
その上で、「私としましては、感染が拡大するような事態にならないよう、組織委員会をはじめ関係機関が連携して感染防止に万全を期して頂きたい。」と念押しし、無事の開催実現を要望した。
読売新聞の報道によれば、ある宮内庁幹部は「陛下は開会式で開会を宣言される立場にあるが、一方で開催による感染拡大を心配し、コロナに苦しむ人にも心を寄せられている」と指摘。「開催を巡って国論が二分する中、宮内庁長官としては陛下が片方だけを重んじているわけではないことを伝える必要があると判断したのだろう」と指摘する。(参考)
つまり、あくまでも陛下は国民全体の統合の象徴として、また東京五輪の名誉総裁として、賛成派にもある不安な気持ち、反対派の反対する気持ちにもご配慮され、バランスをとったと言うことだ。ここでもわかるが陛下は五輪の名誉総裁だ。五輪を安心して開催する立場にあられるのである。
決して反対しているわけではないし、五輪中止論が陛下のお考えでないこともよくわかる。むしろ、不安に思う国民も納得できる安心安全な大会をしっかりやれと言う激励であろう。
それなのに陛下のお気持ちを踏みにじって、政治利用したとしか思えない発言をしたのが、立憲民主党の安住淳国対委員長である。
安住氏は「西村氏個人の意見だと思っている国民は誰もいない。(政府は)言葉の重みをきちんと踏まえて対応すべきだ」などと記者団に語ったのである。
宮内庁長官の“推察発言”に従えと言うなら、違憲帝政党に改名されては??しかも中止になったら陛下に責任が発生しますよ!!
こんなのは論外だ。既に多くの憲法学者が、この発言の政治利用は憲法違反だと警鐘を鳴らしているのに、立憲主義を標榜しているくせに、平気の平左で安住氏は利用しようと言うのである。
恐ろしい違憲主義であり、絶対王政主義者やファシストなのかと心配になってしまう。
いったい陛下のお言葉を勝手に解釈して、陛下を政治利用しようと言う連中のどこが、立憲やら民主やらといった名前の政党に値するのか???
だいたい、今、長官発言を理由に五輪中止にすれば、その全責任は陛下になる。何故ならば、それは陛下の意志ということで中止になったとなり、陛下は名誉総裁だからだ。中止によるありとあらゆるデメリットや弊害は全て陛下の責任になってしまう。
そんなことは許されない。今なすべきは、陛下の苦悶を晴らすために安心安全な五輪を実現し、臣節を全うすることである。その意味でも安住国対委員長は不義不忠なのである。
こうした政党は解散するべきだ。立憲主義を掲げるなど、おこがましい。