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立民・逢坂氏 、五輪開催に「要するに結論ありきだ」 ネット「当り前、「開催する」と言う結論の為に、どのように皆で動いて行くのか大事」




 立憲民主党の逢坂誠二衆院議員は毎日新聞政治プレミアに寄稿した。東京オリンピック・パラリンピック開催を巡る政府の対応について「主権国家として国民の命を守るのは政府の役割だ。その基本姿勢がはっきりしない」と批判した。

逢坂氏は「入国した選手や関係者らについて、外部との接触を遮断するバブル方式も機能しておらず、穴だらけだ。選手らが宿泊先のホテル以外で食事することも想定されており、これでは『バブル』とはいえない」と指摘。

「五輪を巡る政府の対応を見ていると、要するに結論ありきだ。本来は虚心坦懐にさまざまな事実や論拠を集め、専門家の意見も聞いたうえで、開催するか、中止するか、縮小するか、延期するかを決めるべきだ。ところが政府は最初から開催を前提にしているとしか思えない」と語った。

https://news.yahoo.co.jp/articles/5cb015ca9c7ee55eba190adb9114bb25fa4c3b9b







ネットの反応(引用元
これほどまでに非自民、反自民の機運が高まっているのに、なぜ立憲民主党はその受け皿になり得ないのか、自民党や政権への支持率が下落している時にどうして次期政権与党として期待感なく支持率が上昇しないのか
野党第一党としていい加減に本気で考え、耳が痛いだろうが「いかに分かっていない」かを国民に指摘してもらった方がいい
7月23日に始まるの五輪の延期、中止を公約にした立憲民主に批判する資格はない
現在の都議の任期は7月22日であり、初めから物理的にも「できないこと」を公約にした
今回当選した立憲議員の初仕事は公約破り
中止にしていたら、賛成するか?
していないでしょう。
今度は、政府は国際社会に対して
無責任だと言う。結局、批判だけ。
オリンピックは、日本が自分で招致した
ものであり、しかも日本人だけで行う
大会ではない。中止論は最初から無茶。
(対策を取って、行う必要がある。)
中止論は、そんな事は出来ないと分かっていて、
あえて主張された綺麗事であり、
それは明白に政治的に利用されていた。
五輪中止を唱える人は、中止のデメリットを語らない。それとも語れないのか?
一時期取り上げられていた、賠償金は実際問題どの程度になりそうなのか?
中止が日本経済に及ぼす影響は?
国際社会との関係は?
議論したいなら、解りきってる医療への負担軽減というメリットばかり語るのではなくデメリットもあげなければ、始まらない。
一体立憲は何がしたいのだろう?
高校生の会場ボランティアも高体連主導でやらされるところがあるようです。しかも今からワクチン(任意接種)打って、とか言っているんですよ。バブルも何もない。

立憲はなんでもっと早くから五輪問題を取り上げてこなかったのか。逢坂さんに行っても仕方ないのかもしれませんが、今更何を言っても遅いです。もっとまじめにやってほしい。

「結論ありき」??
当たり前。w

「開催する」と言う結論の為に、どのように皆で動いて行くのか、どの様にすればより安全に開催出来るのかを考える…コレが『正常な思考』。

これまで費やした時間や努力や多額な費用を無視し、さらに莫大な”無駄金”を払って「中止する」と決めるなら、そもそも悩む必要すらない。
つまり「止めた方が楽」なのは確か。
でも「楽」なのは『今だけ』。
直後から、後に多大な尾を引く『日本の苦難』が100%始まる。

要は、中止を切望する方々は、困難に際して自分の身可愛さに外国人を排斥しようとし、「今」と言う一瞬だけを考え、全てを諦め、思考を止めてしまった人達…と言う事

そこまで言うなら、コロナがなくても、東京がオリンピックに立候補すべきでなかった。そもそも8月の東京の気候は先進国なら運動禁止になる暑さで、既存・過去の施設・設備も使い物にならず、新設が必要で無理があった。反対するなら二度とオリンピックに関わるべきではない
野盗左翼は国民の命を守る為と五輪を中止させ、来る衆院選で大々的に国民に「国民の命を守った」とアッピールしたいのであろうし、五輪開催で感染者が増えれば、菅内閣は「国民の命を軽視した」等と批判出来るので密か感染拡大に願っている。立憲の五輪反対は秋の衆院選に向けたジェスチャーなのかも知れない。国民の命ではない、全て選挙なのである。あの小沢大大先生は「議員になったら一に選挙、二に選挙,選挙の事ばかり考えろ」と云って国民の事は三、四の次のようである。
戦術論で言えば、「安心安全」で議論無視し説明を怠って、なし崩しの時間切れ=開催を図った菅総理のやり口が勝った、ということ。立憲民主党は開催を阻止する作戦を欠いていた(いる)。というより、真剣に開催中止に追い込む気合がなかった(ない)。
菅総理は「無観客」は視野に入れているから、そこが勝敗の焦点であるかのように演出して「無観客」を全面的にであれ部分的にであれ受け入れてもう終わり、ということになるだろう。立憲民主党はあたかも「無観客」(程度はともかく)に自分たちが追い込んだと威張ってみせるだけだ。まあ、情けないな。
こういう全体像で、確かに国民は菅総理のやり方にうんざりしているが、少なくとも立憲民主党に何か期待できるとは露ほども思っていないとうのが確かなところだろう。







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