林外相、約61万人いた在日朝鮮人のうち徴用労務者は245人の政府調査について「否定する客観的な情報はない」
林芳正外相は衆院予算委員会で、昭和34年当時の政府調査について、「否定情報はないが、現時点で詳細について確認することはできない」と高市早苗政調会長の質問に回答した。
昭和34年当時の政府調査には、当時約61万人いた在日朝鮮人のうち徴用労務者として日本に来た者は245人と記されていた。
(長文を引用しているため、長い記事になっているのでご了承ください)
林芳正外相は24日午前の衆院予算委員会で、昭和34年当時約61万人いた在日朝鮮人のうち徴用労務者として日本に来た者は245人だったとの政府調査について「資料に記載のある数字が正確であるかどうかについては否定する客観的な情報はないということだが、現時点で詳細について確認することはできない」と述べた。
自民党の高市早苗政調会長の質問に答えた。高市氏は昭和34年の調査が訂正する必要がない公式見解か質問した。林氏は資料が存在すること自体は認めた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/9ce646dca4e88af251e184aa19e5f7e75b54c30f
その政府調査を高市氏は2010年にブログで紹介していた。
「在日朝鮮人の渡来および引揚げに関する経緯、とくに、戦時中の徴用労務者について」(記事資料 昭和34年7月11日/ 昭和35年2月外務省発表集第10号より抜粋)
1、第二次大戦中内地に渡来した朝鮮人、したがつてまた、現在日本に居住している朝鮮人の大部分は、日本政府が強制的に労働させるためにつれてきたものであるというような誤解や中傷が世間の一部に行われているが、右は事実に反する。
実情は次のとおりである。1939年末現在日本内地に居住していた朝鮮人の総数は約100万人であつたが、1945年終戦直前にはその数は約200万人に達していた。
そして、この間に増加した約100万人のうち、約70万人は自から内地に職を求めてきた個別渡航と出生による自然増加によるのであり、残りの30万人の大部分は工鉱業、土木事業等による募集に応じて自由契約にもとづき内地に渡来したものであり、国民徴用令により導入されたいわゆる徴用労務者の数はごく少部分である。
しかしてかれらに対しては、当時、所定の賃金等が支払われている。元来国民徴用令は朝鮮人(当時はもちろん日本国民であつた)のみに限らず、日本国民全般を対象としたものであり、日本内地ではすでに1939年7月に施行されたが、朝鮮への適用は、できる限り差し控え、ようやく1944年9月に至つて、はじめて、朝鮮から内地へ送り出される労務者について実施された。
かくていわゆる朝鮮人徴用労務者が導入されたのは1944年9月から1945年3月(1945年3月以後は関釜間の通常運航が杜絶したためその導入は事実上困難となつた)までの短期間であつた。
2、終戦後、在日朝鮮人の約75%が朝鮮に引揚げたが、その帰還状況を段階的にみると次のとおりである。
(1)まず1945年8月から1946年3月までの間に、帰国を希望する朝鮮人は、日本政府の配船によつて、約90万人、個別的引揚げで約50万人合計約140万人が朝鮮へ引揚げた。
右引揚げにあたつては、復員軍人、軍属および動員労務者等は特に優先的便宜が与えられた。(2)ついで日本政府は連合国最高司令官の指令に基づき1946年3月には残留朝鮮人全員約65万人について帰還希望者の有無を調査し、その結果、帰還希望者は約50万人ということであつたが、実際に朝鮮へ引揚げたものはその約16%、約8万人にすぎず、残余のものは自から日本に残る途をえらんだ。
(3)なお、1946年3月の米ソ協定に基づき、1947年3月連合国最高司令官の指令により、北鮮引揚計画がたてられ、約1万人が申し込んだが、実際に北鮮へ帰還したものは350人にすぎなかつた。
(4)朝鮮戦争中は朝鮮の南北いずれの地域への帰還も行わなかつたが、休戦成立後南鮮へは常時便船があるようになつたので、1958年末までに数千人が南鮮へ引揚げた。
北鮮へは直接の便船は依然としてないが、香港経由等で数十人が、自からの費用で、便船を見つけて、北鮮へ引揚げたのではないかと思われる。
こうして朝鮮へ引揚げずに、自からの意思で日本に残つたものの大部分は早くから日本に来住して生活基盤を築いていた者であつた。戦時中に渡来した労務者や復員軍人、軍属などは日本内地になじみが少ないだけに、終戦後日本に残つたものは極めて少数である。3、すなわち現在登録されている在日朝鮮人の総数は約61万であるが、最近、関係省の当局において、外国人登録票について、いちいち渡来の事情を調査した結果、右のうち戦時中に徴用労務者としてきたものは245人にすぎないことが明らかとなつた。
そして、前述のとおり、終戦後、日本政府としては帰国を希望する朝鮮人には常時帰国の途を開き、現に帰国した者が多数ある次第であつて、現在日本に居住している者は、前記245人を含みみな自分の自由意志によつて日本に留まつた者また日本生れのものである。
したがつて現在日本政府が本人の意志に反して日本に留めているような朝鮮人は犯罪者を除き1名もない。【在日朝鮮人の来住特別内訳表】
登録在日朝鮮人数 611,085人
《内訳》
(1) 所在不明のもの 13,898人
(1956年8月1日以降登録未切替)
(2) 居住地の明らかなもの 597,187人(100%)
・・・(2)の内訳・・・
(A) 終戦前からの在留者 388,359人(65・0%)
うちわけ
(イ)1939年8月以前に来住したもの 107,996人(18・1%)(ロ)1838年9月1日から1945年8月15日までの間に来住したもの 35,016人(5・8%)
(ハ)来住時不明のもの 72,036人(12・1%)
(ニ)終戦前の日本生れ 173,311人(29・0%)
(B) 終戦後の日本生れおよび入国者 208,828人(35・0%)最後に、「この資料の位置付け」について、書いておきたいと思います。
外務省および国立国会図書館に確認をしたところ、次のような回答でした。この「外務省発表集」は、昭和35年の上半期からは「外務省公表資料集」と合併して「外務省公表集」と呼ばれるようになりました。
当時の発行元は、外務省情報文化局でした。昭和59年からは、発行元が外務省大臣官房報道課に移り、現在は「プレスリリース」と呼ばれています。
この資料の表題横には「記事資料」と書いてありますが、これは、外務省としての正式発表のうち、「外務報道官としての公式見解等を表明する場合」及び「外務省より正式発表を行うもの」という位置付けだそうです。
もしも、この外務省発表資料の記載が正しければ、いわゆる「強制連行」なる事実はなく、「同じ日本国民としての戦時徴用」と呼ぶべきだということになります。
日本政府が、特に戦時徴用者を優先して、韓国への帰還支援を行っていたということも示されています。また、「戦時中に徴用労務者として日本内地に来られて、戦後も日本に残留された在日韓国人数」は昭和34年時点で245人のみとなっており、「強制連行」を根拠に、現在では46万9415人も居られる在日永住韓国人に参政権を付与しようとする原口総務大臣などの主張は筋が通らないということにもなります。
政府資料はこのように高市氏が紹介してくれていたが、では当時の報道はどうだろうか。朝日新聞が1959年7月に「在日朝鮮人の総数は約六十一万人だが、このうち戦時中に徴用労務者として日本に来た者は二百四十五人にすぎないとされている」と大半が自らの意思で日本に来たと報じていた。
在日朝鮮人の北朝鮮帰還をめぐって韓国側などで「在日朝鮮人の大半は戦時中に日本政府が強制労働をさせるためにつれてきたもので、いまでは不要になったため送還するのだ」との趣旨の中傷を行なっているのに対し、外務省はこのほど「在日朝鮮人の引揚に関するいきさつ」について発表した。これによれば在日朝鮮人の総数は約六十一万人だが、このうち戦時中に徴用労務者として日本に来た者は二百四十五人にすぎないとされている。主な内容は次の通り。
一、戦前(昭和十四年)に日本内地に住んでいた朝鮮人は約百万人で、終戦直前(昭和二十年)には約二百万人となった。増加した百万人のうち、七十万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。残りの三十万人は大部分、工鉱業、土木事業の募集に応じて来た者で、戦時中の国民徴用令による徴用労務者はごく少数である。また、国民徴用令は日本内地では昭和十四年七月に実施されたが、朝鮮への適用はさしひかえ、昭和十九年九月に実施されており、朝鮮人徴用労務者が導入されたのは、翌年三月の下関-釜山間の運航が止るまでのわずか七ヵ月間であった。
一、終戦後、昭和二十年八月から翌年三月まで、希望者が政府の配給、個別引揚げで合計百四十万人が帰還したほか、北朝鮮へは昭和二十一年三月、連合国の指令に基く北朝鮮引揚計画で三百五十人が帰還するなど、終戦時までに在日していた者のうち、七五%が帰還している。戦時中に来日した労務者、復員軍人、軍属などは日本内地になじみが薄いため終戦後、残留した者はごく少数である。現在、登録されている在日朝鮮人は総計六十一万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、戦時中に徴用労務者としてきた者は二百四十五人にすぎず、現在、日本に居住している者は犯罪者を除き、自由意思によって在留した者である。
このように、朝日新聞も政府報告書を否定せず、そのまま報じていた。
当時の資料と報道が合致した形で残っている。これ以上なにを確かなものとすればいいのだろうか。
むしろ、外務省はこれを根拠として韓国の主張を否定していくべきだ。