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学校で「背の低い順に並ぶのは差別」だろうか?




タレントのフィフィさんが次のようなツイートをしていたので興味をもって覗いてみた。

添付されているURLを開くと、現役小学校教員が「なぜ、日本の学校では整列する際、背の順に並ぶのか。現役小学校教員の松尾英明さんは「背丈という本人にはどうしようもない身体的特徴を並べて比較し、小さい方から大きい方へと序列をつけて並べる。これは差別であり、いじめの類でもある」という――。」と綴られていた。(参考

「整列 背の低い順なぜ」というワードで検索すると、「背の順は差別?一番前のポーズの意味がわからない!背の順は廃止できる?」「背の順ってものすごく理不尽な並ばせ方だと思いませんか?」などといった記事がヒットして、どうやら背の低い順という並び方を理不尽と感じている人が少なからずいるということが分かった。

私からすればなぜ問題視するのだろうというのが感想だ。私が小学校の時に先生にこれを質問した生徒がいたことを思い出した。そのとき先生は、「朝礼で○○(一番背の低い生徒)が△△(一番背の高い生徒)の後ろだと、△△の背中しか見えなくて先生の顔が見れないだろ?先生の話はしっかり顔を見て聞かなくてはいけない」と説明した。当時の私は「なるほど」と感じたからだ。

因みに、なぜそんなことを聞いたのか聞いてみた。出席番号順で並ぶとそいつがクラスのマドンナの隣になることはわかっていたが、問い詰めると案の定、そいつもその子が好きだったことが判明した。今思うと、横に並びたくて一生懸命だったのだろう。

昭和の時代に小学生だった私の価値観と今の時代の教員の価値観を同じにしてはいけないと思うが、この教員はこれにも反論している。

こじつけの一つとして「背の順だと前がよく見える」という俗説が学校ではまかり通っているが、全く出鱈目なウソである。やればわかるが、自分と近い背丈の者が前方にいる時には、目の前の人の頭部しか見えない。眼球は頭部の頭頂部ではなく顔面中央付近に付いているのだから、当然である。

引用元 なぜ誰もおかしいと気づかないのか…学校で「背の低い順に並ぶのは差別」と主張する現役教員の納得の理由

私からすれば、これこそこじつけだ。通常、朝礼などの際は先生や校長は壇上に上がって話しをするので、目線は上がり、背の順に並べば先生の顔が見えた。前の人とピタッと密接している状態や目標が目線の水平線上であればこの教員の主張もうなずけるが、一定の間隔を開ければ少なくとも壇上の先生の顔は見える。これは実体験だ。それとも、今の朝礼は先生が壇上に登って話さないのだろうか?

名簿順になればそれこそ背の一番高い生徒の真後ろに一番低い生徒が来る可能性がある。それはそれで問題があるのではないだろうか。私なら背の高い子の後ろで先生から見えなければ座り込むとか、先生の話も聞かずに近くの子と話していただろう。

背が低いとか高いとかはどうしようもないことだ。だったら教師はこんなことを問題視する前に、差別やいじめはいけないことだと生徒に理解させるように頑張るべきではないかと私は思う。

私が小学校の時の担任の話をしよう。

一人目は3・4年生の担任。今では大問題になるかもしれないが、私の時代にも少なからずいじめは存在し、いじめやいたずらが発覚すると先生は拳骨をくらわし、「痛いだろ。友達にいじめられたこいつはもっと痛いんだぞ」などと説教をして、いじめや差別はいけないことだと教えていた。今の時代ではとんでもない話だが、当時は親は先生に感謝して、「殴られたあんたが悪い」と家でも叱られたものだ。

二人目は5・6年生の担任。背が低い高い、運動が苦手、勉強が苦手、子供は様々なコンプレックスを抱え成長していく。その先生は、運動が苦手な生徒のことを「歌がうまい」。勉強が苦手な生徒のことを「絵がうまい」。落ち着きのない生徒のことを「クラスで一番足が速い」など、その生徒が尊敬できる部分を持ち上げみんなに知らせていた。勝手な解釈かもしれないが、そうやって生徒のいい部分をクラスみんなにわからせて、互いに尊敬しあう関係を作ることでいじめをなくしていたんだと、この記事を記しながら思い起こしている。

私は幸いにもいい先生にめぐりあったんだなぁと思う。

鉄拳制裁はとてもではないが今やれば大問題だ。だが、当時はそれで大概は解決していた。それができない今の教員は大変だと思うが、それでもやり方を模索して頑張っている教員も多いはずだ。もちろん、この教員もこういった記事を綴るからには人一倍、生徒によるいじめや差別について向き合い、頑張って取り組んでいる方だと思う。







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