【来賓へのヤジを容認する主催者など聞いたことない!】沖縄全戦没者追悼式で岸田総理にヤジ。八重山日報は「恥ずべき光景」と報じるも、玉城知事「県民、参加された方の思いの吐露なんだろう」とヤジを容認?⇒県は主催者で総理は来賓では?
糸満市の平和祈念公園で開催された沖縄全戦没者追悼式で、今年も総理に対して口汚いヤジがあったようだ。
八重山日報は「恥ずべき光景」と報じたが、記事を読むと玉城デニー知事がコメントしていて、ヤジについて県民の声と言わんばかりだった。
今年も沖縄の「恥ずべき光景」が繰り広げられた。慰霊の日の23日、糸満市の平和祈念公園で開催された沖縄全戦没者追悼式で、首相に向けられる口汚いやじだ。厳粛な慰霊の場にそぐわない基地反対派の政治宣伝だが、残念なことに追悼式では毎年の「恒例行事」と化している。
今年は岸田文雄首相のあいさつが始まると同時に、会場の外で「帰れ」「沖縄を戦場にするな」などの大きな叫び声が始まった。
首相とはだいぶ距離があり、会場内では何を言っているのか聞き取りにくかったが、それでも式典の鎮魂ムードに水を差されたことは感じられた。
そこへ突然、式典の会場内から「岸田あ!」という男の絶叫が響き渡った。「79年前、日本軍は住民を抹殺した。分かるかあ。自衛隊も同じことをやる」。ほかにも、沖縄本島の方言で何か言ったようだった。呼応して女の「そうだ」という声も聞こえた気がした。
基地反対派が参列者に紛れ込んでいたのだ。男は警備に制止され、すぐに会場から連れ出された。一方、会場の外からの激しいやじは、首相のあいさつが終わるまで続いた。
彼らの主張を記事で紹介することも、政治宣伝に加担しているようで釈然としない。だが、この人たちが何の目的でこんな愚かな行為をしているのか、読者にも知る権利はあると思った。
会場の入口には、式典主催者の県が参列者に対し、大声を出さないよう求める注意書きの看板が設置されていた。それでも毎年、こうした輩(やから)は後を絶たない。
式典には首相や閣僚らが参列するため、入場する際は金属探知機などを使ったボディチェックが行われる。警備はそれなりに厳重だが、大声を出す目的で侵入する人間までは防げないようだ。
県民が心を一つに戦没者を追悼する場で、乱暴な政治宣伝をしても共感は得られない。むしろ非常識な行為は、全国に「沖縄の恥」を拡散するだけだ。基地反対派はそのことを自覚してほしい。大多数の県民は、こうした行為にまゆをひそめている。
だが驚いたのは、玉城デニー知事が報道陣からやじの感想を問われ、こう答えたことだ。
「できるだけ静謐(せいひつ)な環境で臨んでいただきたいと前もってお願いしていたが、あのような声が出たということも、それもまた県民、参加された方の思いの吐露なんだろう、と受け止めている」
知事は式典を乱す行為を肯定するのだろうか。県が設置した注意書きの看板は何だったのだろう。トップがこれでは、警備に当たる職員も拍子抜けしてしまう。知事には支持者への配慮があるのかも知れないが「ダメなものはダメ」と乱暴な行為をたしなめてほしかった。
式典に出席した国民民主党の玉木雄一郎代表は「せめて式典の間だけでも静かにできないものでしょうか」とコメントしていた。
沖縄全戦没者追悼式に参列。式典中、会場近くでマイクを使った街宣活動が行われていました。岸田総理が追悼文を述べている時は「帰れ」のシュプレヒコール。政治的に様々な思いがあることも分かりますし、表現の自由は最大限尊重します。しかし、せめて式典の間だけでも静かにできないものでしょうか。
— 玉木雄一郎(国民民主党代表) (@tamakiyuichiro) June 23, 2024
追悼式は県と県議会主催だ。すなわち、玉城知事は主催者の立場だ。対して、岸田総理は特別招待の立場だ。来賓へのヤジを容認する主催者など聞いたことがない。ズレているにも程がある。
記事には「「ダメなものはダメ」と乱暴な行為をたしなめてほしかった」とやさしく指摘しているが、玉城知事はヤジをやめさせる立場にある。主催者である以上、式典でヤジが飛び交った責任は玉城知事にあると考える。
ネットの反応
そうした式典において大声で罵声を浴びせる行為はとても見てられません。
こうした行為をすればするほど、多くの県民から支持されなくなってしまいます。
会場では式典を運営する県から「静粛に」を意味する注意喚起がなされていたそうですが、驚いたことに知事がこうした罵声を浴びせる行為を肯定したとのことです。
世の中にはルールというものが存在します。
知事の発言は、「自らの主義主張のためであればルールは守らなくても良い」と言っているように聞こえてしまい、県民としてとても情けなくなりました。
知事として、主催者として、全ての方々に対して、謝罪の弁を述べる立場にありながら、なんたる醜態。
文末が「気持ちはわかる」では、今回の行動を肯定することになってしまいます。主催者としては「(気持ちはわかる、)でもダメな行動だ」で終わるべきでしょう。