映画や早田選手の発言の影響か。知覧特攻平和会館が夏休みに入り来場者増
第二次世界大戦末期の沖縄戦において特攻作戦で、敵艦に体当たり攻撃をした陸軍特別攻撃隊員の遺品や関係資料を展示している知覧特攻平和会館は、夏休みに入って来場者が増えているという。
同館は映画やパリ五輪卓球女子の早田ひな選手の発言で注目を集めていて、その影響もあるようだ。
太平洋戦争で命を落とした特攻隊員の遺書や手紙、遺品などを展示する鹿児島県内施設への来館者が増えている。南九州市の知覧特攻平和会館は夏休みに入って来場が増え、通常の千人程度に対して3000人を超す日も。家族連れや若者が目立ち、それぞれに平和への思いを新たにしている。
特攻を巡っては、隊員を題材にした小説「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」(汐見夏衛さん=鹿児島市出身)が交流サイト(SNS)などで話題となり映画化された。パリ五輪卓球の早田ひな選手が帰国後会見で「鹿児島の特攻資料館に行きたい。生きていること、卓球ができることが当たり前でないことを感じたい」と話したことでも注目されている。
終戦の日の15日、知覧特攻平和会館入り口は観光客らの列ができた。南さつま市の学生、中村みなみさん(18)は「最近映画を見たので、ここの展示を見ると平和な毎日をありがたく思う」。大阪府守口市の学生、世森詩萌さん(21)は母に誘われた。「(戦争当時に)自分だったらどうしただろうと考えると声も出ない。早田選手の発言で若い世代がここに関心を持つならいいことだと思う」
鹿屋市からは最も多くの特攻隊が出撃したとされる。15日にあった旧海軍鹿屋基地から出撃して亡くなった隊員を慰霊する式典では、鹿屋航空基地史料館協力会の平田辰雄会長(80)が、同史料館を高校生や大学生ら若者が多く訪れることを紹介。「どうしたら平和が続き、戦争が起きないかということを考えるきっかけにしてほしい」と訴えた。
南さつま市観光交流課によると、万世特攻平和祈念館には7月から8月15日までに2820人が来館。2018年度以降の7~8月の最多2392人を既に上回る。15日だけでも300人超が訪れ、昨年を100人近く上回った。
(出典 知覧特攻平和会館)
早田選手の発言を巡っては、「特攻を美化している」などと批評する者もいたが、特攻により祖国に殉じた若者達に思いを馳せ「あの時代に生まれていたら当たり前に卓球は出来なかっただろう」と思うことが何でそうなるのだろうか。
もう二度とあのような悲惨な戦争は起こしてはいけないと、来場者の方々は胸に刻んでいるはずだ。
ネットの反応
早田選手も、時が時、場所が場所に生まれていたら卓球に人生を打ち込むどころではなかっただろう