
辺野古ダンプ事故から1年。市民団体が「追悼・抗議集会」開く。抗議者「死亡した警備員は国策の犠牲者」「事故の責任は防衛局」
辺野古ダンプ事故から1年。市民団体が「追悼・抗議集会」を開いた。
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に抗議していた女性を制止した男性警備員が、ダンプカーに巻き込まれて死亡した事故から1年。事故現場となった同市安和(あわ)の桟橋前で28日、市民団体が「追悼・抗議集会」を開いた。抗議活動中に事故で重傷を負った70代の女性は「私は生きて帰ってきた。この命は私だけのものではない。皆さんの魂のこもった命なのだ」との直筆のメッセージを寄せた。
主催者側によると、集会には約100人が参加。参加者は献花し、1分間の黙禱をささげた。男性警備員とともにダンプカーに巻き込まれ重傷を負った女性側の弁護士が事故後の経過を説明し、「事故の責任は(防衛省)沖縄防衛局にある」との見解を示した。
女性は集会の参加者に宛てたメッセージで「二度と戦争をさせないために、一日も早く元気になって皆さんとともに現場に戻って頑張っていきたい」とし、「事故は防衛局による、安全性を無視して工事を急がせた危険な『2台出し』によって起こったものだ」と主張。ダンプカーの運転手や、死亡した男性警備員も「国策の犠牲者だ」と訴えた。
事故は昨年6月28日、辺野古移設工事に使う土砂を搬出する桟橋前の路上で発生し、同市の男性警備員=当時(47)=と抗議活動中の70代の女性に衝突。警備員は死亡し、抗議者の女性は重傷を負った。
産経新聞が入手した事故当時の映像や関係者によると、死亡した警備員は当初、重傷を負った女性とは別の抗議者に対し、路上で対応。警備員はこの抗議者を歩道に誘導したが、歩道後方から足早に近づいてきた70代の女性が警備員と抗議者の間をすり抜け、徐行していたダンプカーの前に出たとみられている。
県警は現場の実況見分を進める一方、映像の解析を進め、事故に至る原因を調べているが、重傷を負った女性の聴取は行っていない。
やはり開催したか。抗議者らのコメントを見る限りは、追悼という言葉をくっつけただけのただの抗議集会だ。しかも、死亡した男性を利用した悪質な抗議だと考える。
ネットの反応



市民団体の無謀な抗議活動で生じた被害者・犠牲者です。
もっと直接的に言うなら、抗議活動によって〇された被害者です。


「歩行者の通行を制限する事になる。」
からガードレールを設置しないらしい。
いやいや、制限しないからこんな事故が起きたんだろ?