中道改革連合・小川代表「またも失言・平謝り」の露呈――問われる資質と焦りの空回り




中道改革連合の小川淳也代表の周辺が騒がしい。5月27日、政治評論家との対談で、野党連携を巡り「立憲民主党はかなり慎重というか腰が引けている」と言及。これが立憲側の猛反発を招くと、わずか2日後の29日には「言葉選びとして極めて不適切だった」と平謝りし、立憲幹部へ電話で謝罪する羽目になった。

小川氏といえば、今年3月にも皇位継承議論を巡り「女性天皇を生きているうちに見てみたい」と発言し、直後に撤回・謝罪したばかりだ。新党のトップ就任以降、わずか数ヶ月の間に「不用意な発言」と「即座の撤回」のループを繰り返す姿に、永田町からは「党首としての能力不足」「焦りによる空回り」との厳しい声が上がっている。

■ 露呈した「公人」としての能力不足

今回の事案が示す小川氏の致命的な欠陥は、第一に「言葉が持つ政治的波紋への想像力の欠如」、第二に「戦略なき感情論による交渉の危うさ」である。

平議員時代、小川氏は「本音を率直に語る青臭さ」が持ち味であり、それが人気に繋がっていた。しかし一党の代表となった現在、彼の発言は「個人の感想」ではなく「党の公式方針」だ。今回の発言が仮に野党連携を有利に進めるための「牽制」であったなら、相手の抗議に即座に全面平謝りするような無様な幕引きにはならない。戦略なき放言だからこそ、ただ相手の感情を逆なでし、自党の交渉ポジションを弱める結果に終わったのである。

■ 空回る「自己顕示欲」と注目への焦燥感

3月の女性天皇発言における「生きているうちに見てみたい」という情緒的表現も同様だ。国家の根幹たる皇室問題をまるで一過性のイベントのように語る軽率さは、現実的な議論を望む層を呆れさせた。

こうした言動の根底にあるのは、新党の存在感を誇示しなければならないという「焦り」と、自身への注目を維持したいという「自己顕示欲」の空回りだ。メディアの目を引きたい、熱量を伝えたいという衝動が先行し、中身やリスク管理が全く追いついていない。

■ 「率直」から「軽率」へ、引き下げられた看板

かつて彼の「愚直さ」を支持した有権者も、現在の迷走ぶりには不安を覚えているだろう。一歩間違えれば他党とのパイプを断絶させ、党の信頼性を失墜させかねない爆弾を抱えたトップのもとで、党員や支持者は常にヒヤヒヤさせられることになる。

「言葉に重みがない」という批判は政治家にとって致命傷だ。言っては謝り、咎められては引く。そんな「空回り」を続ける小川氏に、中道勢力を率いる器があるのか。その懐疑論は、今回の平謝りでいよいよ決定的なものとなりつつある。




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