生徒の命より法解釈が大事なのか――石橋氏の「手続き論」が隠す安全軽視の本質




3月に沖縄県辺野古沖で起きた同志社国際高校のボート転覆事故を巡り、立憲民主党の石橋通宏氏は国会で、文部科学省の教育基本法違反認定を「拡大解釈」「無理くりのストーリー」と厳しく批判した。しかし、この指摘はあまりに形式的な法理論に終始しており、目の前の重い現実から目を背けていると言わざるを得ない。

そもそも、今回の事案における「安全管理の致命的な欠如」と「政治的偏向教育」は、別個の独立した問題ではない。注意報発令中にもかかわらず教員が同行せず、無登録の抗議船に高校生を乗船させ、結果として2名の尊い命が失われた背景には、特定の政治的立場を実体験させるという「目的の自己目的化」があった。過去のしおりで基地建設への「座り込み」を呼びかけるなど、純粋な学習の枠を超えて特定の政治運動へ生徒を実質的に誘導・加担させていた実態は、教育の中立性を著しく逸脱している。

石橋氏は「その他政治活動」の範囲を政党活動に限定すべきだと主張するが、国策に対する過激な抗議活動の現場へ未成年の生徒を一方的に飛び込ませる行為が、教育基本法14条2項の禁じる政治的活動にあたるのは明白だ。多角的な視点を提供せず、反対派の主張のみを植え付けるようなカリキュラムの偏りは、当の学校法人自身が認めて是正を回答している。

凄惨な事故によって命が失われた以上、行政が前例にとらわれず、その根底にある歪んだガバナンスと偏向教育の構造にまで踏み込んで厳格な指導を行うのは当然の責務である。形式的な手続き論を盾に国の介入を拒む石橋氏の姿勢は、再発防止を願う国民感情、そして遺族の無念の重さに照らし、客観的な妥当性を欠いていると言わざるを得ない。




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