危機有事における「形式論」の限界――小川氏の批判が響かない理由




中東情勢の緊迫化に伴い編成された総額3兆円規模の補正予算案が衆院を通過した。予算の97%を「予備費」として計上した政府に対し、中道改革連合の小川淳也代表は「国民への白紙委任の要求であり、財政民主主義の否定だ」と猛反発している。しかし、この小川氏の追及は、激動する国際社会の「現実」と、生活防衛を願う「民意」の双方から乖離した、頭の固い形式論と言わざるを得ない。

確かに、予算の使い道を事前に国会が審議するという財政民主主義の原則は重要だ。過去のコロナ予備費における不透明な使途への警戒感から、野党がチェック機能を果たそうとする姿勢自体は理解できる。

しかし、現在直面しているのは、いつどこで原油価格が高騰し、どのタイミングで邦人輸送やインフラ防衛の必要性が生じるか分からない有事である。あらかじめ使途をガチガチに固定した予算を組めば、不測の事態が起きるたびに国会を開き直さねばならず、生活支援のスピードは致命的に失われる。

高市総理が「タイムリーに対応するもの」と主張するように、政府の姿勢は極めて現実的だ。有事の政治に求められるのは、前例踏襲のルールに固執することではなく、国民の生命と暮らしを実効的に守る機動力である。明日からの物価高やエネルギー危機に怯える国民にとって、「筋論は正しいが対応が遅れる政治」ほど無価値なものはない。

小川氏は「ノープラン」と批判するが、激変する情勢下での臨機応変な構えこそが、今取り得る最善のプランなのだ。野党が本当に果たすべき役割は、事前の「門前払い」ではなく、事後の使途を1円単位まで徹底的に公開・監視させる厳格なガバナンスの構築である。危機管理の手足を縛るだけの教条主義的な批判は、政治の停滞を招くだけだ。




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