
角田信朗氏が投じた一石から考える学校給食の「いただきます」問題と教育現場の病理
格闘家・タレントの角田信朗氏が、学校給食における「いただきます」などの廃止・任意化に苦言を呈したSNS投稿が大きな反響を呼んでいる。背景には給食費を対価とみなす一部保護者から「給食費を払っているのになぜ言う必要があるのか?」というクレームがあるようだが、この問題の本質は単なる挨拶の是非ではない。現代の教育現場が陥っている「サラリーマン化」と「教育者としての矜持の喪失」という深刻な病理だ。
かつて昭和の時代、学校と家庭には強固な信頼関係があった。親からクレームがあれば、教師は「子どものためだ」と逆に親を説教する強さと熱量を持っていた。社会全体が「目上の人を敬う」「命に感謝する」という共通の美徳を信じていたからこそ、教師は毅然と指導できた。
クレームにひるむ組織と教師のサラリーマン化
しかし現代の学校は、過度な消費者意識やリスク回避に縛られた官僚組織へと変貌した。何かあればコンプライアンスやマニュアルが最優先され、教師は自身の教育信念で動く「職人」から、苦情を出さないよう立ち回る「労働者」になった。教育の場がビジネスライクに割り切られた結果、理不尽な要求に対しても「子どもの成長のために譲れない」と言い返す軸が失われ、保身のために容易にひるんでしまう。かつての昭和の先生たちのように、毅然と反論ができないのだ。
「いただきます」は食材の命や調理者への感謝、他者への配慮を育む重要な食育だ。教師がサラリーマン化し、その伝えるべき矜持まで手放してしまえば、子どもたちの心は無機質なものになりかねない。今必要なのは、教師が誇りを持って教壇に立てるよう、社会の側が過度な完璧主義を捨て、その教育的裁量を守り直すことだ。
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