【辺野古転覆事故の映像】玉城知事は遺族の気持ちを語っているのか?自分の都合を語っているのか?




3月に名護市辺野古沖で起きた修学旅行船転覆事故。亡くなった武石知華さん(17)の遺族は、産経新聞が公開した防犯カメラ映像について「公開されて事実が明らかになった社会的意義は大きい」「問題があるとは考えていない」と明確に公表した。父親は公開前に編集前の全編を自ら確認し、母親もプライバシーへの指摘を認めつつも公開を肯定した。

それにもかかわらず、玉城デニー沖縄県知事は一貫して映像公開に懸念を示し続けている。当初は「ああいう映像が外部に出るというのはそもそもどうなのか」「捜査の証拠なのになぜ発信されているのか」と、公開そのものを疑問視した。後になって「公開自体を否定したわけではない」と軌道修正しつつも、「遺族の気持ちを踏まえたタイミングだったのか、くみ取りきれなかった」「亡くなった方がいる場合は遺族の気持ちにも配慮する必要がある」と、依然として「遺族の気持ち」を盾にしている。

ここで明らかなのは、知事が語っている「遺族の気持ち」が、実際の遺族の声と食い違っているという事実だ。遺族はすでに「公開されてよかった」と公言している。その遺族の意思を無視し、自分の「公開してほしくない」という心情を「遺族への配慮」という名目で語るのは、遺族の気持ちを尊重しているのではなく、自分の都合を遺族に投影しているにほかならない。

知事は行政の立場から「捜査への影響」を懸念すると説明するが、遺族自身が社会的意義を認め、事実解明を求めている以上、その説明は空虚だ。過去の辺野古ダンプ事故でも同様に防犯カメラ映像の公開を問題視してきた経緯を思えば、都合の悪い映像が公になること自体を避けたいという姿勢が透けて見える。

遺族の痛みを利用し、自分の意思を「遺族の気持ち」として語る行為は、決して「配慮」ではない。むしろ、遺族の声を歪め、事実の可視化を阻もうとする行為だ。知事が本当に遺族に寄り添うつもりなら、まず遺族が公表した言葉をそのまま受け止めるべきだった。自分の「公開してほしくない」という気持ちを遺族の名を借りて語るのは、もはや代弁ではなく、刷り込みである。




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