小沢事務所「何となく自民党」は絶望的な無関心の病⇒信頼できる野党の不在が原因では?




小沢一郎事務所は、「何となく自民党」を絶望的な無関心の病と呼び、放置すれば利権と腐敗が積み上がり、日本は滅びかねないと警告した。自民批判として聞く分にはわかりやすい。だが、この診断は現実を見誤っている。

多くの国民が「何となく自民党」になるのは、無関心だからではない。野党に期待できないからである。信頼できる野党が出てくれば、同じ消極的選択は「何となく立憲」にも「何となく国民民主」にもなる。問題の本体は有権者の意識ではなく、受け皿の不在である。

先の衆院選は「何となく」では説明できない

2月の衆院選で、自民は316議席を得た。少数与党で支持率も低迷し、裏金問題の傷も残る状況からの大勝である。これを惰性や無関心だけで片づけるのは無理がある。高市政権の方向性を、有権者が一定程度支持した結果と見る方が自然だ。

対照的に、中道改革連合は公示前から大きく議席を減らした。国民民主、参政、チームみらいが一定の票を集めた事実も含め、有権者は「批判しているかどうか」ではなく、「任せてよさそうかどうか」で選んでいる。

批判そのものは必要だ。現状無視が危うい

与党を批判することを責める必要はない。チェックは野党の仕事である。危ういのは、自分たちが置かれている現状…。議席、信頼、過去の言動、政策の見えにくさを無視したまま批判だけを続けることだ。

長年、批判と同時に自分を見つめ直すことが欠けてきた。政策で勝負する癖が弱く、政局の離合集散で存在感を出してきた勢力ほど、その傾向は強い。選挙に負けても「国民が無関心だから」で処理できる。いわゆる「野党無罪」である。与党でなければ責任はない、批判していれば正義、という勘違いだ。

一般社会なら当たり前の摂理がある。人の悪口ばかり言う人は信用されにくい。批判する側、審判を下す側ほど、自らを律することを求められる。泥棒が泥棒を批判すれば「お前が言うな」となる。政治だけ例外ではない。ブーメランとダブルスタンダードが近年これほど嫌われるのも、その摂理が政治にも適用され始めたからだ。

遠回りに見えて近道なのは自己点検である

先に自分たちの現状を認め、是正する。そうして初めて与党批判に重みが出る。信頼は批判の鋭さで取るものではなく、自分に同じ物差しを当てた結果として後からついてくる。

批判一辺倒は速そうに見えて遠回りである。一方、自己点検から入るのは遅く見えて、かえって近道になる。国民民主や参政、チームみらいが一定の支持を得られたのは、攻撃対象より自分たちの中身を示そうとしたからだ。政局優先の人たちが同じ投稿を繰り返せるのは、まだその順番を理解していないからだろう。

「何となく自民党」を病と呼ぶ前に、なぜその選択が続くのかを受け止めた方がいい。有権者は無関心なのではない。信頼できる野党が見えないだけである。




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