
「平和こそ暮らしの原点」は正しい。だが、抑止力を否定することが平和につながるのか
日本共産党の田村智子委員長が、沖縄県知事選を前に玉城デニー知事の「平和こそ、暮らしの原点」という主張を引用し、「だから基地強化」という論理は沖縄の米軍基地負担を固定化、さらに重くするものだとして、「それは平和の道なのか」と疑問を呈した。
「平和こそ暮らしの原点」という理念そのものに異論はない。沖縄が長年にわたり大きな基地負担を抱えてきたことも事実であり、その軽減を求めることは正当な政策課題である。
しかし、田村氏の投稿には大きな疑問が残る。それは、基地負担の軽減と抑止力の強化を、あたかも対立するものとして捉えている点だ。
現在の日本周辺を見れば、中国海警船による尖閣諸島周辺での継続的な活動、2026年7月に中国海軍艦艇が日本のEEZ内で射撃訓練を行った事実、ロシアのプーチン大統領による8月の択捉島訪問など、安全保障上の圧力は現実に存在している。北朝鮮の核・ミサイル問題も続いている。
こうした状況で、日本が防衛力を弱めれば平和になるという保証はない。むしろ重要なのは、相手に「武力による現状変更を試みても得るものはない」と認識させることではないか。
もちろん外交は必要だ。しかし、外交は抑止力と対立するものではない。十分な防衛力と同盟・同志国との連携を背景にしてこそ、対話を対等な立場で進めることができる。
玉城知事も尖閣諸島をめぐる中国の動きに「容認できない」との認識を示している一方、2023年の訪中では李強首相との会談で尖閣問題を取り上げなかった。
問うべきなのは「平和か、基地か」という二択ではない。基地負担をどう減らしながら、同時に日本と沖縄をどう守るのかである。
「平和こそ暮らしの原点」は正しい。だからこそ、その平和を守るために外交と抑止力をどう組み合わせるのかを問うべきだ。田村氏の「それは平和の道なのか」という問いは、むしろ「抑止力を弱めれば、本当に平和に近づくのか」と問い返されるべきではないだろうか。
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