
昔は電車をよく停めた。今の活動家は軟弱者のままでいろ
SNS上で「日本は政治に抗議する人が少なすぎる」という嘆きが起こっていますが、これに対する反論として、日本は最近やっとデモが起きる国になったと吹聴する者もいますが、どちらに対しても、先人が行ってきた活動をもう少し学んではどうかと思います。
戦後から行われてきた活動家の歴史を追ってくればデモ活動の衰退は明らかに見えますし、かといって過去を鑑みれば今の現状に満足してるくらいでちょうどいいと思います。
それでは少し平和活動家の歴史を振り返ってみましょう。
まずは、在日米軍立川飛行場の拡張に反対した砂川闘争です。1955-1960年に行われたこの活動では、現地の砂川町(現立川市)議会も基地拡張反対を決議し、全議員が闘争委員となったという町全体一つとなって行った運動です。
今となっては地元議会が全会一致で活動に与するなど想像もできませんが、当時はそれほど民意があったということです。
今の活動家で、全会一致とまではいかないまでも、議会多数を獲ろうと努力している人は見たことがありません。デモをやること自体が目的となって、本来やるべき活動がおざなりになっているのではないかと思います。ですが、余計なことは考えないで人の集まらないデモだけやってればいいと思います。
なぜなら、結果として砂川町の芋畑で地元農民らと武装警官隊が衝突して千人あまりが負傷し、「流血の砂川」と呼ばれる事態となったからです。活動家、住民、警察に大量の負傷者を出したので、とてもではないが平和活動とは呼べないしろものであることは言うまでもありません。
平和活動の代表的なものの一つが1960年の安保闘争でしょうか、この安保闘争は国会前での大規模なデモというよりは暴動でした。活動が過熱していくなか、全学連主流派は国会南門から警官隊との衝突を経て構内に押し入るなど強引な抗議活動が実行されました。
この時の警察と活動家集団の国会周辺衝突で東大生の女性1人が死亡してしまったほか、多数の負傷者もでました。戦争反対と叫んでいれば暴力を肯定しても良いのか?と疑問の尽きない活動でした。
しかも、これだけの犠牲を払いながらもその後には国鉄労組による日米安保改定に対する抗議としてゼネスト(ゼネラルストライキ)も行われました。
これ以前にも鉄道系職員の労働組合が線路への座り込みなどして電車をストップさせたりするなど異常な抗議行動が行われていました。デモの行きつく先はこうした暴力と交通マヒなのです。
報道されないと嘆く人もいますが、デモをマスメディアが報道しない方が平和に繋がるのです。
交通マヒでいうと、1968年の国際反戦デーで起こった新宿騒乱もありました。この日はもともとベトナム戦争に対する反対集会が行われていたのですが、なぜか平和を求めるはずが極左暴力集団による暴動事件に発展しました。
そもそも戦争反対を訴える集会に中核派などがゲバルト棒などで武装し、約2,000人が新宿駅に集結したのです。集まった極左暴力集団はその後駅構内に乱入するなどして電車を停め、電車のシートを外して燃料とし、新宿駅南口を炎上させたりもしました。
野次馬も集まり、騒乱が拡大、駅構内はさらに破壊されました。ここでもやはり交通機能が麻痺状態に陥り、通勤・通学など、約150万人の利用客が影響を受けたとされました。現代であればもっと大きな被害となっていたことでしょう。
デモを盛り上げるなどもってのほかですね。
このほかにも、そもそも交通の要所を作らせまいとする成田空港反対運動による暴動もありました。この暴動で警察官は複数名死亡し、負傷者も多数出ました。果たして、平和を壊しているのは誰でしょうか?
デモの行きつく先は暴動なのです。しきりと中国系工作アカウントがデモを煽り、参加者を増やそうとする意図が理解できるというものです。まさか現代の日本人がこうした扇動にのせられ、暴動などの物理的な行動に出るなんてことはないと思いますが、ローンオフェンダーによる事件が発生するなど、絶対に安全であるとは言えません。
強くデモを煽るという行為が何に行きつくかは、平和活動家にはよくよく学んでほしいものです。平和のために。
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