女性自身、菅総理の「総合的、俯瞰的」には明確な意味があったと指摘!!総合的=人文・社会科学を含む総合的な視点、俯瞰的=科学者コミュニティの総体を代表して俯瞰的な観点と過去の政府文書で指摘!菅総理の恩情と聡明さは明らか
10月8日、女性自身が珍しくまともに事実を報じた。
菅総理が学術会議問題で発した、「総合的、俯瞰的」という言葉は、実は過去の政府文書で学術会議の今後のあり方に対し使用された用語だったのである。
それによれば、「総合的」とは「人文・社会科学を含む総合的な視点」であり、「俯瞰的」とは「科学者コミュニティの総体を代表して俯瞰的な観点」だったのである。
つまり前例に基づき、総理は判断をされたということだ。
そして、こうしてみると、菅総理の優しさもわかる。6人の学者が、一つの分野に拘泥する近視眼であり、科学者コミュニティ全体の意見も代表していないと露骨に指摘することを避けてあげたのだから。
女性自身、菅総理の「総合的、俯瞰的」には明確な意味があったと指摘!!総合的=人文・社会科学を含む総合的な視点、俯瞰的=科学者コミュニティの総体を代表して俯瞰的な観点と過去の政府文書で指摘!
10月8日、女性自身は、以下のように報じた。
10月2日の会見で、加藤官房長官は「総合的、俯瞰的」という表現は「総合科学技術会議の意見具申」に由来していると説明した。中央省庁改革の流れで、2003年2月に総合科学技術会議が出した「日本学術会議の在り方について」という具申書にこの表現はみえる。
加藤官房長官によれば、菅総理の「総合的、俯瞰的」という用語は、「総合科学技術会議の意見具申」に由来しているというのである。つまり、れっきとした政府の基本方針だというのだ。
内閣総理大臣及び内閣を補佐する「知恵の場」として、我が国全体の科学技術を俯瞰する役割を担っている総合科学技術会議は、2003年2月、学術会議に対する提言をまとめたが、それに基づくというのである。(参考)
以下、女性自身は、総合科学技術会議の2003年の提言より、「総合的、俯瞰的」を開設する。
<日本学術会議は、新しい学術研究の動向に柔軟に対応し、また、科学の観点から今日の社会的課題の解決に向けて提言したり、社会とのコミュニケーション活動を行うことが期待されていることに応えるため、総合的、俯瞰的な観点から活動することが求められている>
ここでいう「総合的」と「俯瞰的」の意味は、別の箇所を読めば理解できる。
<人文・社会科学を含む総合的な視点>
<科学者コミュニティの総体を代表して俯瞰的な観点>
日本学術会議は、一つの学問分野にとらわれない、さまざまな分野を含む“総合的”な観点と、個別の学会ではなく科学者全体を代表するような“俯瞰的”な観点から活動しなければならないということが、具申書で言われているのだ。つまり、「総合的、俯瞰的な観点」とは日本学術会議が活動する上で求められる学問的な姿勢ということになる。
そして、そうした活動を実現するために、<日本学術会議は科学者コミュニティの総体を代表し、個別学協会の利害から自立した科学者の組織とならねばならず、在来の学問体系や諸学問分野の勢力図から離れて組織が構成され、メンバーも選出されるべき>とされている。
つまり、政府としては、学術会議会員の資格として、一つの分野に拘泥するような近視眼でもなく、特定の政治勢力や学会の利益の代弁者ではない人物を望んでいるのである。これ自体は非常にまっとうであろう。
問題となっている、拒否された6人は「総合的、俯瞰的」に該当するとは思えない!菅総理の恩情は明らか!
さて、問題は、拒否された6人が、個別学協会の利害から自立し、在来の学問体系や諸学問分野の勢力図から離れた人物かどうか、である。
いずれも共産党系とされる団体の幹部や、「安倍の全てを否定し、あらゆる手段をとる」というファシズム的発想の団体の幹部になっていたりと、バリバリの特定団体の利害に従属しているとしか思えない。
そして、いずれも広範な専門性を有しているとも思えない。
まさに菅総理の判断は正しかったのである。
こうしてみると菅総理が、「総合的、俯瞰的」という表現にとどめたのは、わかりにくい面もあったが、一方で、学者への恩情であったともいえる。総理が個別の学者の資質を批判することを哀れに思ったということだ。
その意味で、6人の学者はむしろ菅総理の「みねうち」に感謝し、これ以上の無益な騒ぎを即刻辞めるべきである。
一方、菅総理によって、今後、真に学術会議が「総合的、俯瞰的」、つまり、科学者コミュニティの総体を代表し、個別学協会の利害から自立した科学者の組織に改革されることを強く期待したい。
そしてこの事実が出てきたからには、不勉強な野党とメディアの皆さんには、いつものことだが猛省を求めたい。