朝日新聞系ハフィントンポスト、雨宮処凛氏による印象論と精神疾患患者を侮辱するファンタジー記事を掲載!!事実とファンタジーを混同し、もはやライトノベル!!
朝日新聞、それは言わずと知れた政権批判に明け暮れ、慰安婦問題をはじめ、サンゴ記事捏造事件等、日本国と日本人を貶めるために日々力を注いでいる、自称メディアである。
そんな自称メディアの朝日新聞とパートナーを組み創設されたネットメディアが、ハフィントンポスト日本版だ。(参考)
そのハフィントンポスト日本版が雨宮処凛氏(45)による、とてつもない「妄想ファンタジー記事」を投稿した。その記事は、左派系の妄想の実態がよくわかるものだったのである。
菅政権を批判!しかし、その理由はファンタジー!
菅義偉政権が発足し、当初メディアは、菅総理の人物像をクローズアップし、菅総理の人柄等を報じていた。
政権発足から1か月を迎えるにあたって、政府に対して批判的な記事が散見されるようになってきた。もちろん、メディアが政府の動きを批判的に報じることは、彼らの役割上、当然である。
だが、これも当然のことながら、批判をするにあたって、その論拠は「事実」でなければならない。
しかし、10月8日に朝日新聞の事実上の子会社であるハフィントンポスト日本版が掲載した雨宮処凛氏による記事は、ライトノベルもびっくりのファンタジー小説だったのである。
(略)
拒否された6人は、それぞれ政府の方針に異を唱えた経緯があったことが注目されている。翌日のワイドショーなどでは、「こういうことをしたから拒否されたのでは」などの憶測が飛び交っていたが、それを見ながら、私は静かに戦慄していた。こんなことがまかり通ってしまうのであれば、「政府を批判した」事実そのものがゆくゆくは「前科」のような扱いになっていくのでは、と。
安倍政権の後半くらいから、常々思っていたことがある。それは、近い将来、政府批判をする人たちは「反社会性〇〇障害」みたいな形で「病気」「精神疾患」というレッテルを貼られていくのではないかということだ。そういう形にすれば言論は無効化され、場合によっては予防拘禁さえ可能になるかもしれない。そのようなことを漠然と考えていた身にとって、見せしめ的な排除がこれほど露骨に始まったことに戦慄したのだ。
(略)
???
この発想は、ファンタジーそのものだ。
「「政府を批判した」事実そのものがゆくゆくは「前科」」、そして、「近い将来、政府批判をする人たちは「反社会性〇〇障害」みたいな形で「病気」「精神疾患」というレッテルを貼られていく」、と執筆者で、作家・活動家の雨宮処凛氏は思っているようだ。
しかし、よくよく考えてもらえればわかるように、前科とは、過去に懲役・禁錮・罰金の刑罰(または執行猶予)を受けたことがある経歴をいうものであり、当然ながら法律で定められた禁止行為に違反した場合に課せられるもの。その代表例が刑法だ。なんとも飛躍した発想、そして表現だ。
さらにだ、政権批判が「精神疾患」等のレッテルが貼られていく可能性にについて言及しているが、よくよく考えて欲しい点が3点ある。
1つ目は、「精神疾患」というレッテル、これは、精神疾患を患い苦しんでいる人に対しての侮蔑発言だ。
2つ目は、安倍前総理、そして菅総理に対してのレッテル貼りはスルーで、自身へのレッテル貼りを恐れるその姿勢は、公人と私人の違いはあるにせよ、滑稽でしかない。
3つ目、病気(疾病)についてだが、病気(疾病)は、政府がたやすく決めれるものではなく、WHOが国際疾病分類を公表している。平成30年にICD-11が公表された。この新しい分類によって、ゲーム依存症が認識されるようになったのだ。つまりだ、早々簡単に「病気」というレッテル貼りが行われることはない。
さらに、同じ左派を庇う姿勢も見せていた。
香山リカ氏、前川喜平氏は見せしめ!?
妄想はさらに続く。政権批判に注力している香山リカ氏と前川喜平氏について、2人は、政権批判した人がどうなるのかという末路を示すための「見せしめ」になったというのだ。ここまで行くと珍説を通り越して、妄想だ。
香山氏に関しては、政権批判をしたが故に、メディア、そして講演の場を奪われたと、雨宮氏は主張する。(参考)
考えてみて欲しい。「見せしめ」というならば、政権批判が目的のテレビ番組であるサンデーモーニングの方が、香山氏より適役ではないか。
香山氏のメディア出演の場が減ったのは、香山氏自身のデモに参加した時の写真等に代表される極端な言動が、番組の方針と一致しなかったか、単に飽きられただけの可能性もある。そもそも活動家を出演させる番組はあるのか??これは右翼活動家だろうが、民族差別活動家だろうが、左翼活動家だろうが、アンティファ活動家であろうが同じだ。
さらに講演の場に関しては、香山氏のみが失っているわけではない。右派論人とされる作家の竹田恒泰氏も講演の場を奪われている。(参考)
たしかに今の我国は言論に閉塞感が漂うが、極右と極左が何も考えずに言葉の暴力と脅迫を応酬しあい、委縮した結果だ。両方ともご退場していただきたいところだ。
雨宮氏は作家として活動している。ならば、右派、左派問わず、言論の自由を守れ、言論に理性と寛容を取り戻せと主張して頂きたかった。
前川氏についても、香山氏と同様に「見せしめ」と雨宮氏が考えているようだ。彼女は、菅総理(当時は官房長官)の言葉を引用しながら次のように語っている。
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「貧困問題のために出会い系バーに出入りし、かつ女性に小遣いを渡したということでありますが、さすがに強い違和感を覚えましたし、多くの方もそうだったんじゃないでしょうか。常識的に、教育行政の最高の責任者がそうした店に出入りし、小遣いを渡すようなことは到底考えられない」
一人の人間の社会的生命を奪うには十分すぎる、侮蔑に満ちた表情だった。普段、滅多に顔に感情を出さない菅氏だったからこそ、この時の意地悪な笑いは非常に強く印象に残っている。
(略)
???
菅総理の当時の発言は事実であり、彼女が菅総理を批判する根拠は印象論だ。もっと言うとでたらめだ。それを印象を理由に批判するとは笑止千万。
批判するならば、それなりの具体的根拠が必要なはずだ。印象論ならいくらでも言えるし、それこそ偏見の元だ。
そして、菅総理(当時官房長官)の発言の印象を語る前に、前川氏が、教育行政のトップである文科事務次官在職中に出会い系バーで貧困調査を称して、少女に小遣いを渡していたという事実を見逃して良いのか?
前川氏が、貧困少年、貧困中年、貧困老女、貧困老人は助けずに、貧困少女にだけお小遣いをいかがわしい場所で渡していたのは事実である。
菅総理(当時官房長官)は、この事実を元に、記者の質問に答えているのだ。
身内に甘く、他人に厳しい左派野党に見られる傾向を、雨宮氏も身につけているようだ。
雨宮氏は記事の最後で次のように語っている。
今、とても不安だ。どうか「最悪の予想」が当たりませんように。祈るように思っている。(参考)
ご安心ください。雨宮氏の「最悪の予想」は、絶対に当たりません。単なるファンタジーですから。