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科学哲学の世界的権威の村上陽一郎・東大名誉教授「学術会議は戦後、共産党に支配されてきた」「今回、学問の自由を奪われた人は誰もいません。6人が就職に失敗しただけです」と大正論。村上教授は、上皇后美智子さまの信頼厚い大学者!

村上陽一郎氏と言えば、東京大学の改革に尽力し、1970~90年代にかけて科学史や科学哲学の分野で大活躍した伝説の大学者である。

敬虔なカソリックとして知られ、美智子上皇后陛下からの信頼も厚い立派な学者であり、人格識見ともに最高であり、どこぞの川勝平太氏のような三流とは違う人物だ。

その村上陽一郎氏が、今回の任命拒否問題は「学問の自由」とは関係がない上に、名指しを避けながらも、学術会議も大学の多くも共産党系に支配され、自由などなかったと大告発しているのだ。

科学哲学の世界的権威の村上陽一郎・東大名誉教授「学術会議は戦後、共産党に支配されてきた」

10月7日、村上陽一郎東大名誉教授は、自らのウェブサイトに「学術会議問題は「学問の自由」が論点であるべきなのか?」と題する論説を掲載した。

日本学術会議次期会員の推薦候補の一部を内閣が任命しなかった事について、出発点から、「学問の自由の侵害」と捉え、糾弾するのが新聞輿論のようです。一部の学者や識者層も、その立場で動こうとしているようです。しかし、客観的に見れば、この主張は全く的外れであることは明瞭で、間違いの根本は「現在の」日本学術会議に対して広がっている幻想、あるいは故意の曲解にあります。

引用元 学術会議問題は「学問の自由」が論点であるべきなのか?

村上教授をして、学術会議会員の任命拒否を、「学問の自由への侵害」とみなすのは大間違いであり、幻想そのものだと述べている。

いったいどういうことなのか。

その理由として、村上教授は、学術会議が長らく特定の政党に支配され、選挙運動等で、その走狗として動かされてきたという、トンデモ政治団体だったと暴露している。

日本学術会議はもともとは、戦後、総理府の管轄で発足しましたが、戦後という状況下で総理府の管轄力は弱く、七期も連続して務めたF氏を中心に、ある政党に完全に支配された状態が続きました。特に、1956年に日本学士院を分離して、文部省に鞍替えさせた後は、あたかも学者の自主団体であるかの如く、選挙運動などにおいても、完全に政党に牛耳られる事態が続きました。

引用元 学術会議問題は「学問の自由」が論点であるべきなのか?

本当に恐ろしい実態だ。

そして、いったい、この政党とはどこの党なのか。池田信夫氏によれば、このF氏とは福島要一氏、「ある政党」とは共産党だという。そして、福島氏は、全国の共産党支持者を動員して36年間も会員を続けたのだ。(参考

まさに学術会議が共産党にとって極めて大事な拠点だったのである。何が学問の府だ。

単なる日本共産党学者支部ではないか!今回任命拒否された人々が共産党と極めて親しい関係にあると指摘されていることからも、このことは符合する。

そして、村上教授の口ぶりからも、この共産党に支配された学術会議が彼のような真面目な世界的権威を辟易させ、軽んじてきたことがよくわかる。これこそ学問の敵ではないか!

村上陽一郎・東大名誉教授「実際、今回の件で、学問の自由を奪われた人は、一人もいません。6人が希望する就職に失敗しただけです」

続いて、村上教授は、今回の任命拒否は、現行の規定上は何ら問題がなく、学問の自由を奪われた人は、一人もいないと断言する。

今回、菅首相が主張する、日本学術会議は国立の機関として、首相・内閣府の管轄下にあること、その会員は(特別)公務員としての立場にあること、その任命の権限は内閣・首相にあること、といった内容は現行の規定に従えば、まず疑問の余地のないところです。

実際、今回の件で、自分の学問の自由を奪われた人は、一人もいません。

引用元 学術会議問題は「学問の自由」が論点であるべきなのか?

その通りだ。いったい、今回の任命拒否では誰も学問の自由を奪われていないし、規定上は間違っていない。

そして、村上教授は、今回の問題は6人が名誉職に就職活動失敗しただけに過ぎないと指摘する。

強いていえば、任命を見送られた方の中で、学術会議会員の資格の欲しかった方は、希望の就職の機会を奪われたことになるわけですが、それも就職の際には、常に起こり得ることと言わねばなりませんし、どんな推薦があっても採用されないという人は出るものです。

採用されなかった人に、その理由を細々と論って説明する義務は、選考側には通常は無いはずではないでしょうか。

引用元 学術会議問題は「学問の自由」が論点であるべきなのか?

まさにその通りで、説明しろと主張する6人からは甘えしか感じ取れない。

そして、村上教授は、にもかかわらず「学問の自由」を訴える行為こそ、問題のすり替えであり、かえって「学問の自由」を棄損する行為だと厳しく批判する。

そうした事情を抜きにして「学問の自由」を訴えるのは、完全に問題のすり替えであって、学問の自由の立場からすれば、却ってその矮小化につながる恐れなしとしません。むしろ、学術会議の会員になること自体が、ある立場からすれば、学問の自由に反する行為になる可能性さえあるのですから。

引用元 学術会議問題は「学問の自由」が論点であるべきなのか?

確かにそうだ。共産主義以外の考えの持ち主が学術会議の会員になれば、その人物の学問の自由は制限される。また、そうでなくとも、他の学者が指摘するように、研究時間が奪われることで、むしろ学問の自由は失われるのである。


このように我国、そして人類の至宝である村上教授が指摘するように、とても今回の騒動は、名誉職の就職活動に6人の老人が失敗しただけでしかないし、学術会議は共産党に支配されてきた組織でしかないのだ。

村上教授が「学問の自由の侵害とは無関係だ」と指摘することを、今回吹き上がっている人々はよく受け止めるべきだろう。

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