杉田和博官房副長官は、オウム事件時、警備局長としてオウム殲滅に大活躍!!その杉田氏を攻撃する人々が擁護する日本学術会議は、破防法反対運動に奔走し、オウムへの破防法不適用に事実上貢献…
学術会議の悪業がまた明らかになった。なんと学術会議は、破防法を廃案に追い込むべく活動していたというのである。
言うまでもないが、破防法は、調査対象としての指定、強制的な団体活動規制、強制解散の三つの機能があり、オウム真理教に対しては調査対象にとどまり、左翼の反対により活動規制までは適用できなかった。
もし、学術会議の活動などがなければ、オウム事件前に調査対象に指定し、迅速に団体規制や解散までもっていけていたかもしれないのだ。少なくとも、学術会議には破防法の邪魔をしたことの道義的責任が明らかにある。
一方、そのオウム真理教を撃滅すべく、警察庁警備局長として捜査と市民防衛の総指揮に当たったのが、現在、学術会議を擁護する人々が何故か総攻撃している杉田和博官房副長官なのだ。
杉田和博官房副長官は、オウム事件時、警備局長としてオウム殲滅に大活躍!!
杉田氏は警察庁出身で、政府内で温厚で調整能力が高い人物として知られ、危機管理のプロとして有名だ。(参考)
その杉田氏は、1980年に警察庁警備局外事課理事官、1988年に警察庁警備局外事課長、1989年に警察庁警備局公安第一課長、1997年に内閣情報調査室長、2001年に初代内閣情報官と危機管理監を務めるという筋金入りのスパイハンターであり、危機管理のプロだ。
言うまでもないが、警察の外事課は外国のスパイを摘発し、公安は過激派やテロ組織から守り、内調室長(現・内閣情報官)は情報と諜報を担い、危機管理監は危機管理の事務方のトップだからである。
この杉田氏は、1994年10月に、警察庁警備局長に就任した。警備部は、国家の安全をテロや他国の侵略から防衛する部署である。まさに対オウムの最前線であった。そして、杉田氏は、当時の警察がオウム対策として任命した節がある。
実は、この前月の9月、宮崎県の旅館経営者がオウム信者に拉致・監禁されたと宮崎県警に告訴し、これを受けて警察庁は密かに、全国の警察にオウム真理教に対する捜査を指示し、正式な、だがひそやかな捜査が始まったからである。
あたかも日露開戦を決意した直後に、連合艦隊司令長官に東郷平八郎を任命したように、時の政府は、この百戦錬磨の俊英であった杉田氏を対オウム戦争の責任者に任命したのである。
そして、杉田氏は、それまでタブーであり、想定外であった、宗教団体への捜査を進めていく。いうまでもないが、警察には戦前の大本教への弾圧への反省が強く、メディアもオウムをほめそやし、ビートたけしや石橋貴明が麻原を絶賛し、今では想像もできない困難があった。
しかし、杉田氏らは上九一色村の施設が怪しいと踏み、サリンを製造しているとのあたりをつけ、しかも、サリンの副生物を採取し、政治家を説得し、強制捜査へともっていったのである。しかも、防護服やカナリアを用意し、自衛隊の協力まで取り付けたのである。
そして、杉田氏はこの困難な作業を終え、3月22日に強制捜査を予定していた。
だが、これはオウムがスパイによって察知され、3月20日に悪夢の地下鉄サリン事件が決行されてしまうのである。
しかしながら、杉田氏は見事なことに、この地下鉄サリン事件に対処し、被害を最小限に食い止めた。未曾有の混乱する事態に、動揺することなく、2日後に強制捜査をオウム本部に行い、一人の死傷者を出すことなく、見事、機能を停止させた。
「杉田氏がいたから強制捜査は成功した」
しかも警察庁時代の部下によれば、捜査着手の裏には杉田副長官の存在が欠かせなかったという。そして、その部下によれば「教団の主要幹部が全員逮捕されていない段階で教祖を逮捕すれば、幹部らが報復テロを起こす可能性が強い。それを阻止するためにも、強制捜査前に幹部全員の逮捕を杉田は厳命した」という。(参考)
そして、杉田氏は、見事に、主要幹部を全員逮捕し、麻原の手足を奪った上で、満を持して麻原を逮捕した。そして、その後のサリン事件の再発を防いだのである。
たしかに、杉田氏には百点満点ではない点もある。国松長官狙撃事件の対応が批判されたりもするが、名将とて百戦百勝とはいかない。オウムのスパイが警察や自衛隊に跋扈し、捜査当局が必ずしも、オウム真理教の実態をすべて把握していた訳でもなく、メディアがオウム用語と警察批判をする中で、前代未聞の事件によく対処したというべきであろう。
しかも、ミスは許されない。もし強制捜査に失敗すれば、メディアの大バッシングを受け、オウムを捜査することは二度と出来なくなっていたであろう。
むしろ杉田氏が有能であり過ぎたゆえに、一挙に捜査を進めたことで、焦った急遽オウムがやけくその地下鉄サリン事件を起こしたと言える。しかし、オウムへの捜査を行わなければ、彼らは、1995年11月に教団所有の軍用ヘリコプターを使って東京上空からサリンを散布し、東京都民を大量殺戮し、その他にもテロを実行し、クーデターを敢行する予定であった。
もしそうなれば、何百万人もの死者が発生し、下手をすればオウムが我国を支配していた可能性とてありうるのだ。しかし、杉田氏は勇気をもってその戦いに挑み、勝利したのである。
杉田氏を攻撃する人々が擁護する日本学術会議は。破防法廃案活動に奔走し、後のオウムへの破防法適用を妨害!!
一方、その杉田氏を攻撃する人々が擁護する日本学術会議は、何をやってくれたのか?
なんと破防法に反対していたのである。
時の吉田茂内閣は、当時、頻発していた暴動、特に暴力革命を掲げた反政府勢力による武装闘争を抑え込み、民主主義社会を維持すべく、破壊活動防止法、いわゆる破防法を国会に提出した。
その直後、何を考えたのか、学術会議は法案に反対する共産党とそっくりそのままの主張を総会で決議し、学問や思想の自由を圧迫するとして、事実上の反対声明を出したのである。
結局、破防法は成立したし、学術会議が妄想した「学問・思想の自由の圧迫」は起きなかった。しかし、これが破防法に対する世論のマイナスイメージの普及に大きく貢献したことは間違いない。
学術会議の活動などがなければ、オウム事件前に調査対象に指定し、迅速に団体規制や解散までもっていけていたかもしれないのだ。少なくとも、学術会議には破防法の邪魔をしたことの道義的責任が明らかにある。
このようにオウム事件で大活躍した杉田氏を攻撃し、そのオウムへの破防法不適用の世論づくりに責任がある学術会議を擁護するのが、今の左派なのだ。公安警察に尾行された恨みかどうかは知らないが、いかにもフェアではない。
国民の安心と安全のために努力し、リスクを背負ってきた杉田氏を攻撃するべきではない。
我々にはこうした杉田氏のような真摯な官僚が必要なのである。