ブーメラン!学術会議問題で抗議声明の諸学会、かつて国際日本文化研究センターを極右研究所と決めつけ、設立反対声明を乱発し、大弾圧!同センターは、梅原猛氏、ドナルド・キーン氏、呉座勇一氏等、日本の大英知が結集していたのに…
普段、若手研究者を踏みつけている学者どもが学会の理事会で勝手に決めた政府への抗議声明を出している。
大爆笑なことに、この複数の学会は、国際日本文化研究センター(以下、日文研)を「中曽根による国家主義研究の右翼研究所」と決めつけて、設立反対声明などで圧力をかけ、大妨害したのだ。創設後も監視と称して研究会に参加してきた。
しかし、日文研は、創設されるや、梅原猛氏、河合隼雄氏、ドナルド・キーン氏といった名だたる碩学が所属し、素晴らしい研究を展開した。若手の中世史研究者では双璧である磯田道史氏や呉座勇一氏を雇用し、自由に活躍させてもいる。
まさに大成功したのである。
今、これら学会が侵した「学問の自由への大弾圧事件」を紹介しよう。
ブーメラン!学術会議問題で抗議声明の諸学会、かつて国際日本文化研究センターを極右研究所と決めつけ、設立反対声明を乱発し、大弾圧!
そもそも、国際日本文化研究センターは、中曽根政権期に企画されたが、これが現在と同じように、時の総理=強権的な右派というイメージだけで全てが否定され、各学会が弾圧に狂奔したのである。日文研教授の倉本一宏氏による回顧を紹介しよう。
一九八五年四月に「国際日本文化研究センター」設立構想が公にされ、翌一九八六年四月に設立準備室が発足すると、歴史学関係の各学会では、これに反対する運動が沸き起こり、 「声明」の発表が相次いだ(「学界」ではなく「学会」である念のため)。
歴史学研究会は「広範な学会の総意を結集できるような民主的な設立準備体制を再構築するように強く要求」し(『歴史学研究』五六五、一九八六年三月)、日本史研究会は計画の「白紙還元を重ねて要求」し( 『日本史研究』二八四、一九八六年四月)、考古学研究会は構想の「白紙還元・再検討」を強く求め( 『考古学研究』一二九、一九八六年六月)、歴史科学協議会は「衷心からの危惧と憂慮を表明するとともに、同センターの今後の展開において、適宜私達の態度をあきらかにしていくこと」を決意している( 『歴史評論』四三九、一九八六年十一月)。
また、日本歴史学協会には一九八六年九月に「「国際日本文化研究センター」特別委員会」が設置され、 「同センターの動静把握とその対応に努め」 、その結果、 「埴原和郎氏が研究調整主幹であることが判明」したとの由である( 『歴史学研究』五七八、一九八八年三月)
その後も日本史研究会は、国際日本文化研究センター(日文研)で国際研究集会が開かれる度に「オブザーバー」参加して「点検」を行ない、その報告を載せている。
(中略)
これらの学会が日文研の設立に危惧の念を懐いたのは、日本史研究会の「声明」に端的に集約されている。
(中略)
そして中曽根内閣が進めてきた「新たな国家主義による国民の統合を促すための、いわばその理論的・思想的中核をつくりだすという、きわめて強い政治的役割と使命とをこの計画に期待している」として、その政治利用への「重大な懸念」を表明している。
引用元 鼎談 「日文研問題」をめぐって
このように、歴史学研究会、日本史研究会、考古学研究会、歴史科学協議会という四代学会を中心に、日文研が中曽根の国家主義イデオロギー製造機と決めつけて、弾圧を行ったのである。
あまりにひどい妨害だ。
外国人研究者が日本の学会などの圧力で就職できないと心配した!!
また、事実上の研究者の就職妨害になりかねない行為もなされ、しかも、それは浅い理解と深い偏見に基づくものだったという。
それから、アメリカの酒井直樹が、日文研ヤマトイズムという批判をした。裏にバードサンクチュアリがあるのは日文研のものだとか何とか、間違いも含めてですが、それで日文研に来ていた若い外国人から自分は就職できなくなってしまうと心配して相談されたことがありました。だけど、そんなことはなくて彼はすぐに日本で就職しましたけれども。
それは、中曽根さんのお声がかりでできたことと、梅原さんに対する攻撃だったわけですけど、梅原さんはいわばアイヌ文化基底説だったので、ヤマトイズムではないわけですから、よく中身を知らないナショナリズム批判が主だったわけです。
引用元 創設の経緯と理念、今後の展開
しかも、さらに悪質なのは、この日文研は今や歴史研究としてなくてはならない大きな存在となり、多くの研究者の就職の場として、また、活躍の場として大きな存在感を誇っているのである。
日本文化研究の大御所であるドナルド・キーン博士はそうだが、若手では、上皇陛下へのご進講や武士の家計簿にNHKの歴史解説で著名な磯田道史氏、ベストセラー応仁の乱を執筆した呉座勇一氏も日文研に所属する研究者である。
こんな素晴らしい組織を誹謗中傷し、関係する研究者に有形無形の圧力をかけ、しかも、その他の研究者の就職を放置し見殺しにしてきた、冷酷非情の学会が歴史学研究会、日本史研究会、考古学研究会、歴史科学協議会なのである。
歴史学研究会、日本史研究会、考古学研究会、歴史科学協議会に学問の自由を訴える資格なし!!
にもかかわらず、これら学会は、学術会議問題で学問の自由が失われていると批判する。
例えば、歴史学研究会は、「今回の政府の対応は、同会議の職務の独立を定める日本学術会議法の趣旨に反するのみならず、学問の自由を著しく侵害し、科学者の自律した研究活動を委縮させ、ひいては言論の自由や思想・信条の自由といった民主主義社会の根幹をも否定しかねないものである。」という声明を出している。
日文研の学問の自由を弾圧し、言論の自由を否定し、科学者を委縮させたのは明らかに歴史学会の過去の悪行である。
日本史研究会、考古学研究会、歴史科学協議会も似たような声明を出しているが、彼らに言えたことではない。
今回、各学会が任命拒否問題で「学問の自由」を根拠に政府批判しているが、実態はこんなものだ。科学哲学の大権威である村上陽一郎氏が指摘したように、今回の問題は6人の学者が名誉職への就職に失敗しただけなのである。
そして、その批判する諸学会は、平気で学問の自由を弾圧し、今回の政府とは比較にならぬ強い圧力を具体的に行った前科を持っているのである。笑止千万だ。