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村上陽一郎・東大名誉教授「誰か、実際にご自分の研究の自由を侵害された被害者がおられますか?」「大学の人事が特定政党の組織票により教授会で“拒否”されるなど、政治の学問への介入は稀ではない」と再び大正論!!

東京大学の改革に尽力し、1970~90年代にかけて科学史や科学哲学の分野で大活躍した伝説の大学者である村上陽一郎氏。

先日、村上陽一郎氏による「今回の件で学問の自由を侵害された人はいない。6人が就職に失敗しただけ」「学術会議は戦後、共産党に支配されてきた」とするメディアや左派の欺瞞を暴いた記事を一部引用してご紹介させていただいた。

今、彼は都合が悪い真実を突かれた左派からの総攻撃を受けている。その村上陽一郎氏が、左派からのいわれなき批判に再反論した記事を掲載しているのでご紹介したい。

(出典 日本アスペン研究所)

村上陽一郎・東大名誉教授「国家の介入は当然のこと。」「大学や戦後の一時期の日本学術会議は、ある政党のヘゲモニー下にあり、学問の自由はなかった。」

今月13日、村上氏は前回の記事に多くの反響があったが、急いで書いた内容だったので捕捉したいとした上で、国家の介入は当然のことであると指摘する。

そもそも様々な分野の学者が、国家規模で集まろうという意図を持つものでしょうか。学者・研究者の間に、そのようなインセンティヴは一般に希薄なのです。政治的な権力や強力な支援組織がイニシアティヴを取る、あるいは、その機関に所属することが学者としての高い名誉の保証となる、さらには、団結して国民全体に学問の重要性を訴えなければならない差し迫った事情がある、といったことでもなければ、学者・研究者はそうした活動に身を捧げようとはしないのが普通です。

いろいろな事情でそうした機関が必要と考えた国家が介入する形で、機関を設定するのが、結果的に最も自然な形になります。

ただし、専門学会は別です。専門を同じくする研究者が、科学者共同体を作るのはそれも自然なことで、そこで行われる研究活動の内容に、国家や政府が干渉すれば、それこそ「学問の自由」が問題になります。

(出典 ICU)

引用元 続・学術会議問題 手続きの合理性と学問の自由は別次元にある

その通りだ。日本中の学者たちが勝手に全員集まるということはあり得ないとなれば、政府や国会の介入は不可欠である。そして、専門の個別の学会は自然に形成されるものであり、具体的な研究活動はそこで行われるのであって、「学問の自由」はここにあるのである。

日本学術会議という空疎な組織は「学問の自由」をしないのである。そして村上氏は、そもそも日本学術会議や学問の府である大学には特定の政党(共産党)の支配下にあり学問の自由はなかったと言及する。

戦後の一時期の日本学術会議は、ある政党のヘゲモニー下にあった、ということは前稿で書きました。そこでは、そのイデオロギーの影響下の外にあるような学者の中には、立候補しても組織票で落選させられたり、推薦されなかったというような事態もありました。今の輿論風にいえば、そこでも「学問の自由」はなかったことになります。

いや、そんなことをいえば、それこそ学問の殿堂であるはずの大学においてさえ、人事委員会の推薦候補が、教授会において特定の政党勢力の組織票で、「拒否」(現在の新聞用語です)された事例もありました。政治的思惑が学問の世界に介入するのは、決して稀なことではないのです。

引用元 続・学術会議問題 手続きの合理性と学問の自由は別次元にある

恐るべき実態だ。

学問の自由が今も大学という学問の殿堂で特定政党の手によって弾圧されているのである。こんな状況にダンマリで、よくもまあ偉そうに学問の自由を絶叫できるものだ。破廉恥としか言いようがない。

村上陽一郎・東大名誉教授「誰か、実際にご自分の研究の自由を侵害された被害者がおられますか?」

村上氏は、今月22日に上記記事に追記を行い、菅総理を批判する連中に対し再び疑問を投げかけた。

いろいろと、私の目に触れないところで、私論に対して激しい批判があるとのこと。不思議でなりません。

私の論点は、極めてシンプルです。今度の出来事で「誰か、実際にご自分の研究の自由を侵害された被害者がおられますか?」この一点です。

かつて、学術会議が政党的な力に支配されていたとき、そうでない傾向を持つ研究者は、意図的に排除される傾向にありました。私は、それを「研究の自由」の侵害とは見ていません。

最初の文章でも、そう書いたつもりです。「今の論調からすれば、『学問の自由』の侵害になるのでしょうが」という意味の書き方はしましたが。それは、そのことで、その人が研究遂行上何の害も被っていなかったからです。

「被害者」(あくまでも、研究遂行上の、です)はいない。だから、論理的には、抽象的な「学問の自由」論で攻めても、政府側は痛くも痒くもないのは当然です。

(出典 TBS)

引用元 続・学術会議問題 手続きの合理性と学問の自由は別次元にある

その通りだ。

今回の騒動を「学問の自由」の弾圧であるならば、過去に日本学術会議が特定政党(共産党)によって支配されていたことは、もっと恐ろしい弾圧だ。

村上氏の主張はシンプルで、今回の事件に被害者はいないということだ。誰も被害者がいないのに、6人の一部も野党もメディアも大騒ぎ。菅政権が国民のために進める大改革は無視。

こんなに馬鹿馬鹿しいことはない。

冬がくるにつれてコロナ禍が悪化する可能性もある中、今また春の桜バカ騒ぎを繰り返してはならない。

皆さん、これが野党や左派学者の醜い実態です。騙されないようにしましょう。

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