マスゴミ!避難勧告を無視して居座ったことで、多くの犠牲者の発生に「加担」した記者が「亡くなった人たちは、熱かったろうなぁ。」と無責任発言の上に部長に大出世!!そして、それを他人事のように報じる共同通信!!
共同通信がとうとう人倫を無視した鬼畜そのものの記事を配信した。
1991年6月の長崎県の雲仙・普賢岳で発生した火砕流は、合計43人もの犠牲者を生んだ。この際、現場に避難勧告を無視して居座った報道関係者と彼らが雇ったタクシー運転手、地元の消防団員、警察官等が犠牲になったのである。
この際、一般市民が避難したのに再三の避難勧告を居座った愚かなメディアどもの為に消防団員や警察官やタクシー運転手が犠牲になったが、共同通信は当時生き残った愚かな記者に取材し、その記者の発言として、のうのうと「亡くなった人たちは、熱かったろうなぁ。」などと無責任な発言を紹介している。しかもこの記者は部長にまで出世していたのである。
恥ずべき共同通信、のうのうと部長に出世した雲仙普賢岳の問題記者を悲劇のヒーロー扱い!!
共同通信が11月17日に配信した、鬼畜記事は以下の通り。
雲仙・普賢岳(長崎県)が噴火した1990年11月17日から30年。平成最初の大災害に取材は過熱し、91年6月3日の大火砕流では、避難勧告を無視して撮影を続けた報道陣に巻き込まれる形で、地元の消防団員や警察官らが犠牲になった。
「他社より迫力ある絵(映像)を撮りたい、その功名心が何の落ち度もない市民まで殺してしまった。悔やんでも悔やみきれない」。駆け出しの記者兼アナウンサーとして現地で取材にあたった、長崎文化放送(NCC)の中尾仁(なかお・じん)さん(52)が当時を振り返った。
この人物、悔やんでも悔やみ切れないなどと吹聴するが、情報番組のディレクターなどでも活躍し、現在は営業戦略部の専任部長をのうのうと務めている。もし本当に大量虐殺を悔いているのであれば出家し犠牲者の菩提を生涯をかけて弔うか、全財産を被害者に寄付するべきであろう。
いずれにしても犯罪的行為を行った長崎文化放送にそのまま在籍し、大出世した本人と企業の感覚に疑問を持たざるをえない。
避難勧告を無視した挙句、「報道の自由を当局が規制しようというのか」と反発する勘違い記者!!
そして、この人物は恐るべき無神経発言を連発するのである。
5月26日には小規模な火砕流に巻き込まれた男性が両腕にやけどを負い、噴火から初のけが人となった。
市は同日、普賢岳の麓の一部に避難勧告を出したが、報道各社は黙殺して取材を続けた。中尾さんは「行政が大げさに言っているだけ、ぐらいにしか考えていなかった。(中略)」と打ち明ける。
当時、報道各社は溶岩ドームの先端から約3・5キロにあり、火砕流が下る谷の真正面を「定点」と呼び、撮影拠点にしていた。ここも避難勧告の区域内となり、市や県警は再三にわたって退去を求めたが、聞き入られなかった。中尾さんは「勧告区域内に立ち入るのは、ジャーナリストとして当然の権利だ」と考えていたという。むしろ、「報道の自由を当局が規制しようというのか」と反発さえ感じていた。
これがメディアの浅はかさなのだ!「行政が大袈裟に言っている」という傲慢は、コロナでも中国の脅威でも繰り返されている構図である。
しかも繰り返し避難勧告を行う行政に対しては、「勧告区域内に立ち入るのは、ジャーナリストとして当然の権利だ。」「報道の自由を当局が規制しようというのか。」と反発していたと言うのだから開いた口が塞がらない。
会社ぐるみ!上司の命令で無謀な土石流の撮影に向かった記者!!
そしてやりたい放題で避難勧告を無視する愚かなメディアは、土石流の発生を迎える。
6月3日、中尾さんは上司に「土石流の映像を撮ってきて」と指示された。
(中略)
車はたまたま小高い丘の陰に差し掛かっており、難を逃れた。
(中略)
途中で下車し、惨状をリポートして映像に収めた。市街地に戻ると、消防団員に「どこから来たんだ」と驚かれ、誇らしかった。「スクープをものにした。他社はどこも撮れていない」と達成感に満ちていた。
だが、被害の全容が判明するに連れ、気持ちは沈んだ。
(中略)
大火砕流は結果的に、避難勧告の区域内で止まった。犠牲になった消防団員たちは一度は退避したが、一部の報道関係者が無人の民家の電源を無断使用する事件があり、見回りのために戻っていた。
つまり、報道各社が市の要請に従っていれば、犠牲になることはなかったのだ。「マスコミが住民を殺した」との批判に返す言葉はなかった。
定点を含む現場では報道関係者16人と同行のタクシー運転手4人に加え、地元の消防団員12人、警察官2人を含む計43人が命を落とした。
明らかにこれは無茶な取材を命じた報道機関、その命令に喜んでしたがい、無人の民家に侵入して電源を盗んだ一部の犯罪記者に多くの責任がある。
多くの犠牲者の発生に「加担」した記者が「亡くなった人たちは、熱かったろうなぁ。」と無責任発言の上に部長に大出世!!そして、それを他人事のように報じる共同通信!!
そしてこの記者はとうとう大問題発言を吐く。
「自分が生きていることを不思議に感じる。亡くなった人たちは、熱かったろうなぁ」。今年5月下旬、中尾さんは久しぶりに現地を訪れ、つぶやいた。高台から大火砕流が通った跡を見渡し、視線の先には定点があった。「自分を含め、あの時は記者魂をはき違えていた。本当は他社に勝ちたかっただけ。巻き込んでしまった人たちには申し訳ないと思う」
中尾さんはその後、情報番組のディレクターなどでも活躍し、現在は営業戦略部の専任部長を務める。教訓を語り継ぐことが生き残った者の責務と考え、同僚や後輩に説いている。「記者は死んだら何も伝えられない。危険地でこそ冷静になり、安全を確保した上で最善を尽くすべきだ」
まるで他人事。
何が熱かっただろうな、だ!
オウム真理教の一味が「被害者は苦しかっただろうな。巻き込んでしまった人たちには申し訳ないと思う。」などと地下鉄サリンの現場を訪れて吐けば、いったい何を言っているのかとなるのは同じだ。
この記者は徹頭徹尾他人事なのである。組織的な反省も皆無だ。
しかも部長に大出世している。オウム真理教の一味が、現在アレフの大幹部になり、教訓を後輩信者に垂れているようなものだ。
そして、この記事を書いた共同通信の記者も愚劣なことを言い出す。
大事件や大災害に遭遇し、興奮で身体中の血が沸騰するような感覚は私も経験がある。中尾さんの当時の心境はよく分かった。
だが、私たちは専門家ではない。どこまでが安全なのかを自ら判断することはできないのだ。それを改めて教えられた。いち記者として、普賢岳の教訓を胸に刻み、二度と同じ過ちは繰り返さないと心に誓った。
こちらも同様。他人事だ。
巻き込まれた人々へのメディア人としての謝罪の気持ちも見えない。メディアの組織的な腐敗や勘違いへの反省はゼロ。
あるのはおろかな先輩記者を悲劇のヒーローであるかのように描き、共感を寄せているだけ。
こんな恐ろしい腐敗集団はメディアだけだ。まずメディアと言う腐敗した権力者集団の打倒こそが我国の民主主義の為に必要であろう。
放送法と電波法の改正は不可欠だ!!!