珍説!英タイムズ紙東京支局長「花見はダメ、五輪は例外?」とスーパー珍説!!そもそも比較対象が間違っていますよ!
東京五輪を中止に追い込もうとしているのがタイムズ紙の東京支局長だ。
彼は過去にも東京五輪の中止を望む記事を上げていたが、これが大誤報であった。メンツを失ったことをごまかすためか、その後は「五輪を中止すべきだぁあああああ!!」という主張を連発している。
自分で自分の誤報を認めているようにしか思えないのだが、その彼は今度は「なぜ花見は中止するのに東京五輪は決行するのか」と言い出したのだ。
珍説を唱えてまで、東京五輪を阻止しようとするタイムズ紙の東京支局長による壮大な自爆芸をご紹介しよう。
花見が犠牲になるのは受け入れる??
長い歴史を誇るタイムズ紙の東京支局長となれば、その肩書だけで信用してしまう人もいるはずだ。
しかし、だ。実際の彼は珍説を流布してばかりだ。花見について、次のような発信をしていた。
今年は花見が取り止めになった。近所の公園の桜の木々は、派手なオレンジの柵で囲われた。まるでテープを張り巡らされた巨大な犯行現場だ。悲しい風景だった。
花見は、日本の四季折々の行事のなかでも私がとりわけ大切に思ってきたもののひとつだ。花の美しさも、人々が上機嫌になる姿も好きだからだ。
(中略)
「花見は好きだけれども、それを犠牲にするつもりだ。なぜならその犠牲で救われる人命があるのだから」
これが私たちの多くの思いだろう。
タイムズ紙東京支局長は、「花見」を犠牲にしたと思っているようだが、花見は何も桜の木の下で「宴会」をすることだけを指すのではない。
我国の文化の「花見」を持ち出したタイムズ紙東京支局長は、「犠牲」にした「花見」と対比する形で「犠牲」にならない東京五輪について語りだした。
東京五輪は例外??いやいや、対比するものが違いませんか?
タイムズ東京支局長は、「犠牲」になった「花見」と対比する形で、東京五輪への疑問をぶつけた。
たとえ検査の実施やソーシャル・ディスタンスを徹底しても、東京オリンピックがコロナウイルスを拡散する可能性は、桜の花の下のピクニックよりもはるかに大きいのだ。それなのに東京五輪は実施に向かって進んでいる。
なぜオリンピックは例外なのか。どうして運動競技や水泳などが好きな人は、私たちがさまざまな形で強いられている犠牲を強いられないのか。この問いの答えは、世論にはない。世論調査では、日本人の大半がオリンピックの今夏開催に否定的であることが一貫して示されてきた。この問いの答えは、言うまでもなく政治とカネなのだ。
タイムズ紙東京支局長は、東京五輪を花見と対比することによって、東京五輪を中止の方向にもっていきたいようだ。
だが、よくよく考えてもらいたい。花見と東京五輪では決定的に大きく異なる点があるのだ。
それが感染防止対策だ。東京五輪では、観客数を制限すること、そしてアルコール消毒やマスクの着用を徹底することによって、感染予防を図ることは可能なのだ。そもそも五輪観戦の多くはテレビやオンラインだ。
一方で、花見はどうなのかと考えれば、その感染予防策は、個々の対策に依存せざるを得ないのだ。しかもテレビやオンラインでは不可能だ。
そして両者には更なる違いがある。それはタイムズ紙東京支局長も指摘している通り、「政治とカネ」だ。
東京五輪は政治の責任で感染拡大防止を図ることはできるが、花見はそうはいかない。
感染拡大防止策を講じる主体を考えれば、花見と東京五輪を対比するのは、不適切としか言いようがない。
天下のタイムズ紙の東京支局長という役職にある人物が、日本の文化「花見」を利用し、東京五輪の中止を感情的に訴え、煽動する姿は、とても看過できるものではない。
タイムズ紙の東京支局長のような極めて主観的な珍説には気を付けねばならない。