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福島県沖地震で台湾の特殊救助隊員が即座に準備「いつでも呼んでください。準備して待っています」




16日に発生した福島県沖地震で死者や負傷者も確認された。建物倒壊や道路陥没なども被害が多数確認され、福島の火力発電所では設備の損壊が相次ぎ、東電の電力需給にも影響している。

そんな中、台湾からなんとも心打たれるニュースが舞い込んだ。

福島県沖地震発生に伴い、台湾の特殊救助隊員が「いつでも呼んでください。準備して待っています」と、即座に待機態勢を整えいつでも日本に出発できる準備をしていたというのだ。

福島県沖を震源とする強い地震が16日夜に発生したのを受け、南部・嘉義県消防局の特殊救助隊23人が出動に向け待機している。地震発生から8時間以内に待機態勢を整えたといい、いつでも日本へ出発できるとしている。

各県市が持ち回りで内政部(内務省)の国際人道支援任務を担っており、今月は同県が担当。同局の蔡建安・副局長によると、隊員たちには17日早朝、招集がかけられた。装備の準備など最短時間で完了させたという。

翁章梁県長は17日午前、視察に訪れ、国際社会の一員として、隣国が必要としているなら、台湾は必ず支援を提供するとの考えを示した。

引用元 福島県沖地震 台湾・嘉義県の救助隊が待機態勢「いつでも出動可能」

なんという国だろう(国ではないという意見もあるが、あえて国と言わせてもらう)。東日本大震災の際には、台湾から200億円の義援金が届いた。

また、台湾の支援が200億円の義援金ばかりでなかったことをダイヤモンドオンラインが配信していたので紹介しよう。

 我々は「台湾からの200億円の義援金」ばかりを注目しがちだが、被災地の人が「忘れられないぐらい感動し感謝した」という逸話がある。

震災から5日後の3月16日。白いズボンと白い帽子、紺色のジャンパーの背中に蓮のマークをつけた一群が茨城県の大洗町に到着した。台湾の慈済基金会(じさいききんかい)日本支部の人々が、トラックと自家用車を連ねて、被災地の人々に温かい料理を振る舞うためだ。

この団体は、台湾の財団法人「佛教慈済慈善事業基金会」の日本の分会で、本部は台湾の花蓮市にあり、台湾の尼僧の証厳和尚によって1966年に設立された仏教系慈善団体だ。「慈済」とは、「慈悲為懐、済世救人」(慈悲を懐にいだき、世を救済し人々を助ける)という意味で、実践を重視して世界で慈善活動を行っている。尼僧が中心の団体だが、多くの老若男女が賛同し、各地のボランティア活動に参加している。

彼らは、夜が明ける前に東京を出発し、茨城県大洗町、岩手県大船渡・陸前高田市、宮城県石巻・気仙沼市など被害の甚大な場所に赴いて、気温が10度を下回る中、カレーライス、焼きビーフン、豚汁、みそ汁などの炊き出しを行った。

彼らが届けた救援物資は数十トンともいわれている。この炊き出しは、現地で知らない人はいないが、メディアで報道されることはほとんどなかった。

この団体の被災地での救済支援はこれだけではない。彼らは独自に、被災住民に直接現金を配布していたのだ。役所、公民館や集会場に地元住人に来てもらい、一世帯あたり5万~7万円、一人暮らしの方にも2万円を渡した。配り漏れがないように現地の役所と協力し、お年寄りなど配布場所に来られない人には、直接訪問し、一人ひとりに現金を手渡して回っていたと聞く。

実際に現金をもらった家族に、取材で話を聞いたことがある。

「台湾の仏教団体が現金を配るので各世帯の代表者は公民館に集まるように、とのチラシが配られました。我が家は父が行ったのですが、世帯名簿のチェックをするだけで5万円をもらって帰ってきました。先が見えない不安の中、本当に心が温まる出来事でした。あのお金は私たちに安心を与えてくれました」と当時を思い出し、涙を浮かべていた。

震災後の東北への最初の旅行客は台湾から。。。続きはソースで

引用元 東日本大震災での「台湾からの支援」が圧倒的だった2つの理由

1999年9月21日に台湾で発生したマグニチュード7.3の大地震の際に日本が派遣した救助隊は、地震当日の夕方に台湾入りし最も早かった。また隊員数145人は、各国の中で最大規模だったそうだ。1999年の台湾大地震で当時総統だった李登輝氏は東日本大震災の時に「今回の震災は、私たちが恩返しする番だと考えた」「少しは恩返しができただろうか」と語った。(参考

その後の熊本地震でも台湾はいち早く支援を申し込んでいる。

2016年台湾南部地震、2018年花蓮地震と今度は台湾が大規模地震に襲われ、日本は支援を行っている。

なぜ台湾がこのような対応をしてくれるかといえば、両国は同じ地震大国ということで痛みを共有しているからだ。それと共に「恩を感じ感謝する」「受けた恩は返す」「困ったときはお互い様」という概念が日本と共有できるからだ。

危ない国に囲まれた日本ではあるが、台湾という隣人が存在することは本当に救いだ。







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