元国家安全保障局次長が安倍元総理について「世界史に名前が残ると思う」と大絶賛!!!
安倍元総理の国葬が行われ、それまでの喧騒が嘘のように静まった。国葬は無事執り行われたが、15日には安倍元総理の地元、山口県で県民葬が執り行われる予定だ。
その安倍元総理について、国家安全保障局の次長を務めた兼原氏が「世界史に名前が残る」とその功績を称えている。
国家安全保障局は安倍元総理の下で、北村滋局長(当時)が存在感を示し続けてきた。
安倍元総理の功績が展開した外交が公平公正に評価される日が一日でも早く来てもらいたい。
国家安全保障局の元次長が安倍元総理の功績を称える!!!
安倍元総理の国葬が執り行われ、多くの外国要人が参列する為に来日を果たした。多くの要人の来日は、安倍元総理が展開した地球儀を俯瞰する外交の成果だ。
その安倍元総理の外交を間近で見ていた人の1人が国家安全保障局の次長を務めた兼原氏だ。兼原氏は安倍元総理の外交を世界史に名前が残ると称賛している。そして安倍元総理の苦悩についても語っている。
第2次安倍政権の外交安全保障を支えたキーマンの兼原氏は、安倍晋三元首相の功績として「開かれたインド太平洋(FOIP)」を挙げ「アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ASEAN、オーストラリア、全てがインド太平洋と言い始める流れを作った。世界史に名前が残ると思う」とコメント。冷戦が終わり、これからというタイミングで「自分がリーダーだと出てきたのが安倍元総理だった」と語った。
また、2015年の「戦後70年歴史談話」に触れ、「安倍総理も悩んでいた」と当時を回顧した。「戦前の日本が全て正しいわけではなかったが、何が良くて、何が悪かったのかをはっきりさせないと、未来の子供たちは永遠に謝罪することになる、との思いが安倍元総理にはあった」とコメントした。
(出典 外交青書2014)
安倍元総理の覚悟を兼原氏は間近で目撃してきたのだ。さらに、安倍元総理の未来の子ども達への責任を強く感じていたことが窺い知れる。
更にだ、その我国に付きまとう侵略ということについても安倍元総理は熟慮を重ねていたというのだ
そして「日本はアジアを侵略したと言われるが、もともとはヨーロッパの植民地だった。日本の敗戦後にはそれらの国が再征服のために戻ってきた。日本は悪くて、彼らは正しいのか。何が正義だったのか」と、安倍元首相が自問したことを話し、その結論として「日本も彼らもみんな負けたじゃないか。正義はアジアの独立と人種差別の撤廃にあり、そうして生まれたのが、今の自由主義的な国際秩序だ」との考えに至ったと語った。そして安倍元総理が「自分がその秩序を守ると考えられた」と当時のことを振り返った。
兼原氏は「安倍元総理はよく『世界史全体は100年のスパンで見ないとだめだよ』と言っていた。戦後の冷戦の分断を終えて、新しい日本を残さないといけないと考えていた」と故人を偲んで語った。
(出典 外務省)
安倍元総理は歴史をしっかりと直視した上で、外交を展開したのだ。安倍元総理が言ったと伝えられる「世界史全体は100年のスパンで見ないとだめだよ」という言葉。ここまで長いスパンで我国の外交を考えた人が近年いたのか。
安倍元総理が展開した外交は、これから多くの成果を残すに違いない。
稀代の政治家であった安倍元総理。その功績は称えられるべきだ。
(出典 首相官邸)