共産・志位氏「もしも日本がミサイルで攻撃されたらどうするか」との質問に、「そういう事態を起こさないことこそ政治の責任」
日本共産党の志位和夫委員長のツイッターへの投稿が話題となっている。
志位氏は「BS番組で「もしも日本がミサイルで攻撃されたらどうするか」との質問に、「そういう事態を起こさないことこそ政治の責任」とお答えした。「戦争の準備をすれば戦争の確率は高まる。平和を望むなら平和の準備をすべき」という加藤周一さんの言葉を思い出す。ここにこそ真実があると思う。」と投稿。
BS番組で「もしも日本がミサイルで攻撃されたらどうするか」との質問に、「そういう事態を起こさないことこそ政治の責任」とお答えした。
「戦争の準備をすれば戦争の確率は高まる。平和を望むなら平和の準備をすべき」という加藤周一さんの言葉を思い出す。ここにこそ真実があると思う。— 志位和夫 (@shiikazuo) January 11, 2023
「そういう事態を起こさないことこそ政治の責任」は全くその通りなのだが、「攻撃されたらどうするか」に対しては全く答えていない。つまりは思考停止状態だ。
万が一のことを考えれない政治家は無責任でしかない。
防衛力強化を戦争の準備と言われてしまえば何をもって国を守ればいいのだろうか。
また、志位氏は9日には次のようなツイートをしていた。
#日曜討論
維新代表の発言には驚いた。「いよいよ日本も矛の一翼を担っていくときがやってきた」とのべつつ、「専守防衛というものを守っていく」と。
「専守防衛」とは、日本は「盾」しかもたず「矛」をもたないという防衛戦略のはず。それを捨てながら「守る」とは。〝矛盾〟を絵に描いた欺瞞だ。— 志位和夫 (@shiikazuo) January 9, 2023
この投稿を見てもわかるように、志位氏は矛を盾とすることが理解できていないようだ。
盾だけではウクライナの二の舞になる可能性が高いので、こちらからは決して戦争を仕掛けることはないことを前提に、矛を備えて相手に攻撃を思いとどまらせるという理屈が分かっていないようだ。
「攻撃は最大の防御」という言葉があるが、東洋思想研究家の田口佳史氏は次のように語る。
一般に「攻撃は最大の防御なり」といわれているが、これはどういう意味なのか。「形篇」で語られている防御と攻撃についての話は、一般的に考えられていることとは逆から説いているものといえるだろう。先に攻撃をしかけ、その戦闘力でもって相手を屈服させるのではなく、相手がどのような攻撃をしても、絶対に勝てないと分からせる防御力こそが最大なのである。
日常では相手に反撃の隙を与えないように攻め続けるという意味でつかわれている言葉だが、本来の意味は違うと語っている。「絶対に勝てないと分からせる防御力」もしくは「攻撃したら痛い目に合うと理解させる防御力」すなわち「相手に効果的な打撃力を備えること」が「攻撃は最大の防御なり」の本来の意味だと言っているのではないかと解釈する。つまり、有事を想定し、その準備が如何に大切かということだ。
田口氏はさらに「軍事レベルの高さを見せつける防御体制」が必要だと語っている。そして、「軍事レベルの高さを見せつける防御体制」こそが防衛力強化と反撃能力保有なのだ。それが志位氏が述べる「そういう事態を起こさないこと」に繋がるのではないだろうか。
平和外交は確かに必要なことなのだが、軍事力の均衡を保ってこそ成立することもある。外交は常に相手があることなので、こちらの思惑通りにならない面も多々ある。特に中国、北朝鮮、ロシアなどは共通の認識を共有することが困難なため、日本も備えをして向き合う必要があると考える。
日本が友好的に接すれば相手は攻撃してこないだろうという考えだから「お花畑」と揶揄されてしまうのだ。
何度も言うが、中国、北朝鮮、ロシアが日本の安全保障を脅かさなければここまで防衛力の強化をする必要はなかったのだ。志位氏は日本が平和を壊そうとしていると語っているようだが、まったくの逆だ。日本は対応している立場だ。順番を間違えてはいけない。