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韓国の野党議員らが訪日し、「佐渡金山」の世界文化遺産登録申請の撤回を求める




韓国の野党議員らが日本に訪れ「佐渡金山」の世界文化遺産登録申請の撤回を求めたと中央日報が報じた。

菅内閣では朝鮮人の強制連行や強制労働の用語を「適切ではない」と閣議決定しており、日本政府は、朝鮮人労働者の戦時動員は「強制労働」ではないという立場を示し、韓国の主張を否定している。

韓国野党「共に民主党」の安敏錫(アン・ミンソク)、林鍾聲(イム・ジョンソン)議員と無所属の梁貞淑(ヤン・ジョンスク)、尹美香(ユン・ミヒャン)議員は三一節(独立運動記念日)を迎えて日本を訪問し、日帝強占期朝鮮人強制労役の現場である新潟県「佐渡金山」の国連教育科学文化機関(ユネスコ)世界文化遺産登録申請の撤回を求めた。

中略

これに先立って韓国国会は先月27日、「日本政府の佐渡金山世界遺産登録再申請の撤回および日本近代産業施設ユネスコ勧告履行要求決議案」を全員一致で採択した。

決議案は日本の佐渡金山登録再申請に対して深い遺憾を表して、日本政府に歴史問題に対する真の謝罪と責任ある姿勢を求める内容が入っている。

日本政府は昨年2月、佐渡金山の世界遺産登録申込書を出したが、書類に不備な点が確認されたためこれを補完した申込書を今年1月に再び提出した。

日本政府は佐渡金山の世界遺産登録を推進し、遺産の対象期間を16~19世紀中盤に限定し、朝鮮人強制労働を意図的に排除して遺産が持つ「全体の歴史」を冷遇するという姑息な手を使ったという批判を受けている。

以下略。全文はソースで

引用元 尹美香ら韓国国会議員が日本行き「佐渡金山世界遺産登録申請を撤回せよ」

記事には「遺産の対象期間を16~19世紀中盤に限定し、朝鮮人強制労働を意図的に排除して遺産が持つ「全体の歴史」を冷遇するという姑息な手を使った」とあるが、『史跡 佐渡金山』には「佐渡金山は、1601年に山師3人により開山されたと伝えられています。 1603年には徳川幕府直轄の天領として佐渡奉行所が置かれ、小判の製造も行われ江戸幕府の財政を支えました。 1869(明治2)年に官営佐渡鉱山となり、西洋人技術者を招いて機械化・近代化が図られました。1889(明治22)年には、宮内省御料局管轄の皇室財産となり、模範鉱山として日本産業の近代化に貢献しました」と記されていて、江戸時から日本産業の近代化を支えたことまでの期間を考えれば、16~19世紀中盤が文化遺産の対象とするのが妥当だ。姑息な手でも何でもない。

そもそも多くの研究者が強制労働ではなく募集工と指摘していて、その背景に、日本に併合した当時の朝鮮は非常に貧しく働くところもない人が多く、日本に出稼ぎに行きたい労働者であふれていたという。

現代朝鮮研究者の西岡力氏は朝鮮人労働者について次のように記している。

 この頃、朝鮮から内地への渡航を希望する者は、居住地の所轄警察署か警察官駐在所に出頭して、就職口が確実なこと、旅費以外に10円以上の余裕金を所持していること、労働ブローカによる募集でないことなどを証明した上で、釜山の水上警察宛の「渡航紹介状」をもらう必要があった。それなしには内地への渡航は出来なかった。

中略

正規の手続きを踏まない不正渡航者も多数いた。内務省統計によると1930年から42年までの13年間、内地で不正渡航者としてみつかったのが3万9,482人、そのうち3万3,535人を朝鮮に強制送還している。ここで見逃してはならないのは、戦時動員が始まった1939年から1942年までの4年間でも2万2,800人が内地で不正渡航として摘発され、1万9,250人が戦時動員期間だったにもかかわらず朝鮮に強制送還されているという事実だ。

ここで強調したい事実がある。1939年9月に始まった「募集」形式の朝鮮人戦時動員は、1934年の「朝鮮人の内地渡航を内地渡航を一層減少する」という閣議決定の例外として始まったということだ。1938年4月に国家総動員法が公布されたことを受けて、内地では徴用による労働動員が始まったが、朝鮮ではそれは発動されず、1939年7月に内務・厚生両次官連盟で1934年10月の閣議決定の例外として、朝鮮人労務者を内地に移入する方針が打ち出されたのだ。

放っておくと多数の朝鮮人が出稼ぎのために内地に渡航するのでそれを抑えるという閣議決定があったのかだが、その例外措置として朝鮮人戦時動員が始まったという事実はもっと多くの日本人、韓国人に知ってもらいたいことだ。そして、一度例外としてであっても門を開くと、それまで厳しく制限されていたことにより行きたくても行けなかった潜在的な渡航希望者が多数いたから、朝鮮人労働者らによる雪崩のような内地渡航が発生したのだ。

内務省統計によると戦時動員期間(1939年から1945年)に合計約240万人(正確には237万8,232人)が内地に渡航したが、そのうちわずか4分の一の60万人(60万4,492人)だけが戦時動員(募集、官斡旋、徴用)であって残りの180万人(177万3,740人)が自発的個別渡航者なのだ。

引用元 西岡力「朝鮮人戦時労働と佐渡金山」

戦時動員が60万人で、その3倍の180万人が自身の判断で日本に働く場所を求めてやってきたという。強制的に動員されたと韓国は主張するが、実際は日本に行きたくて行きたくて仕方ない人であふれていたということだ。しかも、内地の日本人には徴用による労働動員をおこなったが、朝鮮にはそれを発動しなかったという。韓国の主張がまるで嘘だということが分かる。

こういった時代背景もしっかりと韓国のみならず日本でも周知させないから、おかしなジャーナリストやコメンテーターが支離滅裂なことを言うのだ。

日本政府も強制労働の用語を「適切ではない」と閣議決定するまではいいが、こういった研究者らの研究をまとめ、内外に向け発信すべきだ。特に韓国は事実を受け入れたら反日材料がなくなるので認めようとしないだろうが、正しい歴史が受け入れられないのなら関係改善は見込めないと突き放せばいい。北朝鮮や中国に関する安全保障の連携はそれはそれで、米国を交えて行えばいい。







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