「報道の自由を取り戻す」と、報道の自由度ランキング低下を政府の責任にしている人がいるが、偏向報道で日本の信用を貶めているマスコミの責任も大きいのでは?
現在、国会では放送法を巡る行政文書について野党が政府を追及していて、野党議員の中には「報道の自由を取り戻す」と訴える議員もいて、マスコミも便乗している始末だ。
確かに報道の自由度ランキングでは、日本はG7国家の中で最下位となっている。権力者(政治家や大企業)の影響も指摘されているが、実は問題視されているのが偏向報道だ。
エレミニストの「【2022年最新】報道の自由度ランキング 日本の順位と世界の状況」には「報道の自由度が高い国の傾向・共通点」について紹介されていて、次のように記されている。
報道の自由度が高い国の傾向・共通点
報道の自由度ランキングのトップ3はノルウェー(1位)、デンマーク(2位)、スウェーデン(3位)だ。RSFが「北欧諸国トリオ」と称するこの北欧3国では、報道・言論の自由度が非常に高い。このような国では報道の自由が法律で規定されており、ジャーナリストが柔軟な報道をおこなえる環境が整えられている。公的な情報はすべて公開され、誰でも自由にアクセスできるのだ。また、情報ソースをおおやけにする必要はないとされている。
報道内容はじつに自由である。しかし、ジャーナリストが法律と自由を盾に傍若無人な報道をするわけではない。取材対象者の人権にも配慮される。ノルウェーの例を見てみよう。たとえば政治家のインタビュー記事をライティングする。
ノルウェーに限らずだが、インタビューを記事にする際には往々にしてジャーナリスト個人の解釈も入るものだ。ノルウェーのジャーナリストも同様である。
だがノルウェーでは、記事を読んだ政治家が発言の意図を誤解されていると感じれば訂正を申し出、ジャーナリストはみずからの記事を訂正こそしないが文末に「本人によれば意図が違うとのことだ」と書き添える。法的、そして社会的に、取材対象者の人権に配慮しながらも報道の自由を貫ける環境が整えられていると言えるだろう。
簡単に言えば、報道の自由度が高い国の傾向は、偏向報道がない、あるいは少ないということだ。
それに比べて日本の報道はどうだろうか。ジャーナリストが法律と自由を盾に傍若無人な報道をしていることが多々あるのでは?また、取材対象者の人権に配慮はあるだろうか?発言者の解釈を勝手に変えてしまっている点も多々あるのでは?印象操作、切り取り報道、報道しない自由など、やりたい放題ではないか?上記の「報道の自由度が高い国の傾向・共通点」を見て、日本のマスコミは恥ずかしくならないのだろうか?
「報道の自由」と調べると、「事実を告げ知らせる行為の自由」と書かれている。「民主主義社会では、報道機関は主権者たる国民の〈知る権利〉の負託にこたえて報道を通じて国民に判断の素材を提供するものと考えられている」とも記されている。
憲法21条によって保障される表現の自由により、報道機関にも人権は保障され、表現の自由が認められるが、あくまでも「事実」の報道のみ表現の自由が認められている。事実であればどのような表現で報道しようが構わないだろうが、「私がこう受け取ったのだから」と勝手に発言者の意図を変え、事実を曲げるのはアウトだと考える。あくまでも尊重すべきは発言者の意図で、報道に求められるのは事実のみを正確に伝えることだ。そして、是非を判断するのは報道する側ではなく、情報を受け取った国民でなければならない。
報道の自由度ランキングがダウンしていることを政府の責任にしている傾向にあるが、マスコミが勝手にスポンサー企業などに配慮して「報道しない自由」を発動させたり、偏向報道や切り取り報道を繰り返していることも影響している。むしろ大きいと言ってもいいのではないだろうか。つまり、マスコミは自身で日本の報道の信用を貶めているのだ。自身でやりたい放題やった結果なのに、政治家にその責任のすべてを擦り付けているのがマスコミだ。
安倍政権になって報道の自由度ランキングが下がったと騒いでいる人がいるが、安倍政権になってから偏向報道がよりひどくなったともいえる。